人文社会系の適正な規模とは(続き)

 昨日に引き続き、今度は大学院段階における専攻分野別構成をみてみよう。資料は引き続き、「教育指標の国際比較」(平成25年)による。なお、大学院段階については、独の数字はないので、露の例を引く。

       日本   英国   仏国    露国    韓国
 人文・芸術  9.2  11.4  28.4   14.2   13.4
 法経等   15.7  35.8  26.5   28.3   26.2
 理学     7.4  18.6        15.7
 工学    32.2   12.9  20.0    24.6   23.9
 農学     5.0   0.8        3.2
 医歯薬保険 14.2   7.8  23.7    7.3    10.1
 教育     5.5  10.0   m     6.5    19.0
 家政     0.5   m   m     m     a
 その他   10.4   2.7   1.4    0.2    7.3
(*仏と韓国は、理学、工学、農学を足した数)
(mは計数不明、aは制度が存在しない)

 学部と大学院を照らしあわせてみた時にはっきりするのは、日本の大学では、学部段階の文系学生(人文・芸術+法経等)の比率は高いが(49.4)、大学院になるとぐっと下がる(24.9)ということである。逆に、大学院での学生比率が高くなるのが工学系で、その他の理系分野も比率が高くなる。
 大学院における専門別学生比率の文低・理高の傾向は、どの国にも見られる現象というわけではない。英国では法経等で比率が高まり(26.6→35.8)、フランスではほぼおなじである。興味深いのはロシア連邦の例で、昨日の記事には学部の数値を挙げなかったが、露の文系分野における学部→大学院の比率をみると、人文・芸術で1.1→14.2、法経等で16.1→28.3である。ロシアの大学制度には全く疎いので見当違いの推測かもしれないが、学部名称などが独特なのかもしれない。
 昨日も引用したが、今回問題となっている文科省の通知は、学部と大学院を並べて組織見直しを要請している。しかし、学部と大学院は、それぞれの国の人材養成のシステムにおいてそれぞれ異なる役割を果たしているのであり、それを無視して、一括して取り扱うべきであるかのような指示の出し方には大いに問題がある、とは言えそうだ。つまり、学部と大学院、それぞれについて、それぞれの事情をふまえ、またそれぞれの目指すべき方向性を考慮した上で、指示を出すべきだったと思われる。
 では、学部と大学院それぞれの事情、それぞれの目指すべき方向性とは何か。ここでは、それぞれの国においてどの分野で学位を出しているのかを参考に考えてみたい。
 まず、学部段階の分野別構成である。

       日本   米国   英国   仏国  独国   韓国
 人文・芸術 18.8   22.2  21.2   31.3  13.4  12.7
 法経等   35.2  37.1  29.3   35.7  33.8  29.0
 理学     3.2   7.6  19.0        13.2  
 工学    15.7   8.7   9.1    25.5  16.3  35.3
 農学     3.1   1.6   0.9        1.8  
 医歯薬保険  8.5   7.9  11.8    4.8   5.6   4.9
 教育     6.8   6.1   4.5    m   14.6   7.4
 家政     2.8   1.3   m     m    0.5   a
 その他    5.8   7.5   4.2    2.7   0.9  10.8
(*仏と韓国は、理学、工学、農学を足した数)
(mは計数不明、aは制度が存在しない)

 次は、大学院段階の分野別構成である。

       日本   米国   英国   仏国  独国   韓国
 人文・芸術  8.9   10.9  10.2   26.7  11.1  11.7
 法経等   10.9  35.9  36.8   39.5  24.6  25.3
 理学     8.9   4.3  13.8        23.8  
 工学    38.9   8.7  10.8    25.7  16.2  28.6
 農学     6.1   0.7   0.7        4.1  
 医歯薬保険  13.2  14.8   9.5    6.8   16.8   9.5
 教育     5.5  22.3  15.7    m   2.1  18.8
 家政     0.5   0.3   m     m    0.7   a
 その他    7.2   2.0   2.4     1.3   0.5   5.9

 さて、これをみてどう感じるだろうか。
 日本の特徴は、学部段階では人文社会系の人材をそれなりに輩出しているが、大学院段階になると圧倒的に低いというのが、特徴である。他方、大学院段階で他国に比べて高い比率を占めているのが工学と農学である。(上にあげたのは学位取得者数の比較である。これを金額ベースにすると、もっと大きな差が出てくるであろうことは、理系学生・文系学生に要する教育研究経費の差から、明らかだと思われる。)
 多くの人が指摘していることだが、日本の大学は実学志向が強く、工学や医学などの分野にはそれなりに資源配分をしてきた歴史がある。それは19世紀後半の帝国主義の争いの中で日本の大学(旧帝大)に背負わされたミッションによって規定されていた。
 そしていま、グローバル化の中で進められようとしている政策で、「社会的養成」(かなり産業界寄りの「社会」なのだが)という名のもとで人社系の廃止・転換が求められている。そもそも国際的に見ても資源配分の小さかった分野をさらに絞っていこうとするこの政策がもたらすものは、一体何なのだろうか。
 少なくとも、一つ、確実にいえそうなことは、鶴見俊輔の言う「陰のない観念」(12月27日参照)がますます支配的になっていくだろう、という見通しである。
 
 はじめの問いに戻る。人社系の適正な規模とはどの程度なのだろうか。少なくとも方向性として確認できることは、特に大学院レベルでは、人社系の人材をもう少し増やす方向に向けた改革が必要なのではないか、ということだ。
 以上のような全体状況や考えられる方向性を踏まえるならば、人社系の大学院は、自分たちの存在感の小ささを嘆く前に、新しい構想をもって自己主張をしていくことが求められている、と私は考える。それは、決して世間に通用しない主張ではないはずだ。グローバル化によって、ますます人間や社会、国家の諸関係から生じる問題にどう対応するかが問われる時代なのだから。高等教育政策に求められるのは、このような人社系の構想を実現するための具体策である。