べてるの家

向谷地生良『「べてるの家」から吹く風』いのちのことば社,2006年


べてるの家」に関する著作は何冊かある。
その中の一冊,横川和夫『降りていく生き方』太郎次郎社(2003年)から,べてるの家についてざっと紹介すると,
べてるの家は,浦河赤十字病院の精神神経科を退院した,あるいは入院中のメンバーたちが運営し,日本キリスト教団浦河教会の旧会堂を拠点に活動してきた。日高昆布の袋詰めや浦河赤十字病院の清掃,食器洗い,配膳など多彩な仕事をこなし,2002年には社会福祉法人となった。」(12−13頁)
べてるの家のメンバーが百二十人を超え,地域共同作業所とさまざまな事業をあわせた年商が一億円を突破するようになったのも,浦河赤十字病院ソーシャルワーカー向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんの存在なしには語ることができない。」(25頁)

この向谷地氏が「べてるの家」の周辺で起きた出来事をつづったものが,本書である。
この中から,べてるの家がどのようなものかを示す一つのエピソードを紹介しよう。

「最近の電話相談件数ナンバー・ワンは,統合失調症をかかえる二十代ののぞみさんである。携帯への着信は一日十件を下ることがない。出会ったのは,彼女の両親から相談を受け,家庭訪問をしたのが最初だった。彼女は,高校卒業後,自宅に引きこもり,人との関係を絶っていた。
数回,訪問をしてわかってきたのは,彼女は“幻聴さん”に操られているということだった。孤立のなかで彼女なりの世界が構築され,必死に何かと戦っていた。」(146頁)

統合失調症が,幻聴を伴うということはよく知られている。お医者さんが記す幻聴についての記述は,「症例」という形式の中で,どうにも暗い印象を与えるが,本書はやや違った印象を与える。もちろん,本書の「のぞみさん」も苦しいことには違いないのだが。

「・・「向谷地さん,ごめんね。何度も電話をかけて。今度はね,いなや“幻聴さん”が入ってきて,困ってるんだよね。私の悪口を言うんだよね。」
・・・・・
「のぞみさん,それじゃ,今度は,僕が直接この電話で“タカハシ幻聴さん”,“オダ幻聴さん”に頼んでみるから,ちょっと聞いててね」と言って,私は受話器の向こう側にいる二人の“幻聴さん”をイメージしながら語りかけた。
「タカハシ幻聴さん”,“オダ幻聴さん”,いらっしゃいませ。いつも,のぞみさんを心配していただいてありがとうございます。おかげさまで,仲間もたくさんできて,多くの人に愛されて元気でやっています。相談することも,たいへん上手になりました。ですからタカハシ幻聴さん”,“オダ幻聴さん”も,安心してきょうはお帰りください。よろしくお願いいたします・・・。」
そう語り終えると,のぞみさんはうれしそうに言った。「向谷地さん,二人とも帰ったみたいだね!」
それは,“幻聴さん”への対処の新しい技がまた生まれた瞬間だった。」(146-151頁)

病気なのに,何故か明るく,楽しいかのようだ。しかし,向谷地氏は本書の冒頭で次のようにはっきりと述べている。

「「べてるの家」をもっともわかりやすく言い表すことばは,“今日も,明日も,順調に問題だらけ”かもしれない。精神障害をかかえながら生きるということは,「暮らす」というあたりまえの現実に対して,人の何倍ものエネルギーを費やし,負荷をかかえて生きることを意味する。」(5頁)

べてるの家」にいれば,問題が無くなるということでは,決してない。
むしろ,上のエピソードが示していることは,「べてるの家」がやっていることは,問題と「つきあう」ということだろう。そして,「問題」とつきあうには,大変なエネルギーがいる。
しかし,そのような負荷をかかえながらの生を,極めて深刻な問題を抱えている場合でも,本書はどこか明るく描き出す。この明るさは,問題をかかえた当事者の周囲に,いつも誰かがいるところによるのだろう,と思う。