ダブル・メッセージ

ジャン・バニエ『小さき者からの光』(長沢道子訳)あめんどう,1994年


私が大学4年生の時,バブル経済の泡はまだはじける気配なく,夏休みのおわりでもなおまだ,銀行が採用者を求めている,という話をきくほどだった。
私は,就職活動もせず,何となく大学院に進もうかと考えていた。調べてみたら,社会科学系の大学院は9月が試験で,なんの準備もすることなく,とある大学院を受験して失敗した。
結局,進路先を決めることができずに,大学を卒業した。アルバイトで生活をしながら,受験勉強をし,いくつかの大学院に合格することができた。
詳しい経緯は思い返せないのだが,大学院入学前の一月半ほどの時間を利用して,アルバイトでためたお金で,キャンプヒル・ヴィレッジというアメリカの知的障害者の共同体を訪れた。友人から,その共同体の話をきき,行ってみたいといったとき,その友人が向こうに連絡をとってくれたのだ。旅行会社に勤めたばかりの知り合いがチケットの手配をしてくれた。
初めての海外への旅で,鞄には何故かアリストテレスの『政治学』だけを入れた。これから政治思想を学ぶということへの,ちょっとした意気込みだったのかもしれない。ただ,読むことは読んだのだが,記憶には何も残っていない。滞在したハウスにあった『バガバット・ギータ』が,むしろ強く印象に残っている。

キャンプヒル・ヴィレッジは,ドイツの異才ルドルフ・シュタイナーの思想にもとづいた知的障害者の生活共同体で,州政府からの援助の他に,ユダヤ系の人々の寄付などによって成り立っていると聞いた。私の英語力だから,間違っているかもしれないのだが。
いま,そこがどういう状態になっているのか,調べてみることもせずにいる。関心がなくなったというのでなく,過去を振り返ってみるような気にならないからだ。

ふとしたことで,本書を手にした。
著者のバニエは,知的障害者の共同生活体,ラルシュ共同体の設立者である。
彼は,1928年,第19代カナダ総督の息子として生まれた。英国の海軍士官学校を卒業した後で,カナダ海軍士官として奉職。間もなくそこを去り,大学で神学と哲学を学び,トロントの大学で哲学を教えた。1964年,知的障害を負った二人の子どもを引き取って,ラルシュ共同体という名の共同生活をフランスで始めた。ラルシュ共同体は現在,世界各地に百箇所近く設立されているという。ラルシュとは,フランス語で「箱船」の意味である。

キャンプヒル・ヴィレッジでのわずかな生活を思い返すと,働きに集中した静けさ,とでもよぶべきものが,記憶からよみがえる。
ラルシュ共同体のスタッフ向けのリトリートで語られたバニエの講演からなる本書の中心メッセージの一つも,静けさ,である。

現代社会には,あまりにも多くの言葉が溢れています。そして人々は,格好よくふるまうことに熱心です。現代の大きな欠陥は,言葉が信用できなくなっているところにあるでしょう。あまりにも多くのダブル・メッセージ,言行不一致の言葉が横行していると,私には思えてなりません。」(47-48頁)

ダブル・メッセージとは,たとえば,体を大切にしなさい,と子どもに言いながら,自分は酒浸りになっているようなあり方。平和を唱えながら,軍備を整える。心の豊かさを教えながら,お金の大きさで仕事を評価する。こうしたことが,この世には溢れている。
ダブル・メッセージをやめるには,まずは,酒をやめること。軍備を縮小すること。カネで仕事を評価しないこと。
こうしたまっとうなことを,しかし,私たちはなかなか実行できない。バニエもまた,自身の経験を次のように語る。

「私はそれまで,子どもに忍耐強く接しられなくなる母親や父親,あるいは身近でケアしている人々の気持ちがわかっていませんでした。しかし,ルシアを通して自分の無力さを味わったことで,子どもにつらく当たる親のことを,本当に理解することができたと思います。
よく子どもをたたく親がいますが,それは,たたく側の心の泉が干からびているからです。私も自分に,こうした暗い世界のあることを認めざるをえませんでした。」(107-8頁)

個人的なことだが,虐待の報道を聞くたびに,地獄ということを考える。子どもにとっても,そして(しばしば見逃されていることだが)親にとっても,虐待は地獄だ。
それほどわかりやすくはないけれども,しかし,私たちもまた,ダブル・メッセージの地獄の中で,どうせ変わることのない世界ならば,せめて格好よく生きるだけと,自分の身を痛めつけつつ生きているのではないか。

なお,日本にも,静岡県静岡市に,ラルシュ・かなの家がある。