ペシャワール会

中村哲『医者よ,信念はいらない まず命を救え!』羊土社,2003年


アフガニスタンで活動するペシャワール会の日本人職員が拉致されたという。毎日新聞(毎日jp)によれば,「外務省邦人テロ対策室によると、26日午前、アフガニスタン東部ジャララバードで活動する非政府組織「ペシャワール会」の職員、伊藤和也さん(31)が何者かに拉致されたと、国連機関を通じて在アフガニスタン日本大使館に連絡が入った」とのことだ。
ペシャワール会は,中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成され,1984年より現地活動を開始した。86年からアフガン難民への国内診療を開始し,更にアフガニスタンにも活動範囲を広げた。2000年からは,大干ばつに見舞われたアフガニスタンの村々で水源確保事業を開始し,井戸の掘削を中心にカレーズとよばれる伝統的な地下水路の修復作業を現在まで継続的に行っている。アフガン空爆のときには,国内避難民への緊急食料配給を実施するなど,医療からスタートした活動は,まさに経世済民の拡がりをもつ活動へと展開している。
中村哲氏の著作は何冊かもっているのだが,手元には一冊しかおいていなかった。やや古くなったが,その一冊から,中村哲氏の言葉を紹介したい。

「・・金さえあれば…と思ったことは何回もあるんですけれどね。これはですね,とりあえず,犬も歩けばではありませんけれども,私はまがりなりにもキリスト教徒でございます。タリバン派のムスリムですかと言われることがよくありますが,一応クリスチャンですから,クリスチャンなりの言葉で語らされていただきたいと思います。神は,人間にできないことは決して強制なさらないというのが私の信仰であります。できないなら仕方がない。しかしできることはきちんとする。百円あれば百円だけのことをするし,一億円あれば一億円だけのことをする。・・」(78頁)

多くの予算を申請してそれを獲得できたら,それだけでもうよい仕事ができたかのような錯覚を,私たちはもちやすい。その上,本当に必要なことにお金をつかっているのか,反省すればきりがない。
錯覚をつくりだして,お金を回し,それを業績にする。そこには,できないことをやろうとする虚偽が,しばしば潜んでいるような気がする。

「・・教育というときにいつも思うことですけれども,教育の目的はなにかというと,端的に言って,子供たちが将来食っていけるようにすること。もう一つは,人間的な教養を身につけて人としての善悪を知ること。この二つが大きな目的であろうと思いますが,[現地の子供に対する]教育が足りないという見方のなかに,何か勘違いがありはしないかと言いたいんですね。
・・アフガニスタンに教育が全く無いかというとそうではない。家の手伝いをすることが,九割以上の農民の子弟にとっては一つの職業教育であるわけです。みんな家の手伝いをしながら農業のやり方を覚えていく・・
それから,道徳教育ならば毎週金曜日にモスクに行ってコーランの教えを厳しく伝えられる。教育が無い教育が無いというけれども,私は基本的な教育は備わっていると思います。字が書けるか書けないかということだけを教育の指標にするのはもうやめる時期がきたのではないかと思います・・」(79-80頁)

上に述べたような虚偽への誘惑は,字を読み書きする人にこそ,多いだろう。それに対して,人間が生きていくために必要な教育が,アフガニスタンには備わっている,という。それなのに,そうした社会を遅れているとして,「救済」の手を伸ばそうとする「先進国」とは一体何なのか。

「[アフガン空爆がはじまった2001年10月から,日本が後方支援を開始する同年11月にかけてのころ]日本全体が西側のメディアに偏って見ていた時期でありまして。あのころ非難されていたタリバン像というのはごく普通のアフガン人だった。タリバンや反タリバンを問わずに普通の農村の慣習法を,西側が女性蔑視だとかいろいろ批評していたわけですね。しかしたとえ蔑視であっても「爆撃で人殺しをしてまで変えなくちゃいけないものなのか」というのが素朴な疑問でした。やっと現場に着いた記者がそのことに気付き始めたころには遅すぎて事は終わっていた,というのがだいたい今までのパターンで・・」(98頁)

中村哲氏の講演を一度きいたことがあるのだが,その時に印象に残っている言葉の一つが,「わたしは,故郷である北部九州の一部と,パキスタン,アフガンの一部のことしか知りません」といっていたことである。
国際的なNGOが,予算獲得の戦略もあって,そのときどきの必要に応じて活動舞台を移動させるのに対して,ペシャワール会は,その活動の拠点を一箇所に定め,アフガン空爆の危険のなかにおいても,その活動を継続してきた。地域の人々と共に生きようとするその姿勢には,しっかりとした芯があって,その活動には,陰ながら共感していた。
今なおアフガンに展開されている多国籍軍は,反政府組織タリバンの壊滅をめざして,戦闘作戦を実施している。
今月19日には,多国籍軍に加わっている仏部隊の兵10人が戦闘で死亡したが,仏国大統領サルコジ氏は「仏部隊は大きな打撃を受けたが、フランスは対テロ、自由と民主主義のための戦いで責任を果たす。私の決意は変わらない」と,撤退する意志のないことを表明している。
米国・民主党の大統領候補オバマ氏も、イラク駐留米軍部隊の16カ月以内の撤退を主張する半面、アフガンを対テロ戦の主舞台ととらえ、2個戦闘旅団の兵力増強を唱えているという。
たしか,アフガン侵攻が始まったころだと思うが,中村哲氏は,地元福岡の民放のニュース番組に出演し,「日本は必ずアメリカと一緒にターゲットになる」と言っていたと記憶する。ペシャワール会のメンバーがそのターゲットになるとは,何という皮肉か。
伊藤さんの無事の解放を心から祈りたいと思う。