思考と文体

斎藤美奈子『誤読日記』朝日新聞社,2005年


斎藤美奈子氏の文体は,いろいろと考えさせられる。
例えば,『モダンガール論』(文春文庫)の文体は,歴史学の標準的な文体とは大いに異なるけれども,斎藤さん(冒頭,斎藤美奈子氏と書いたのだが,斎藤氏という表現にはどうにも違和感を感じるので,こう記す)の文体にしてはじめて伝わる内容があると感じた。
ところで,今日この本をとりあげたのは,ノーベル賞のニュースがどうにも気になったからだ。
日本人のノーベル賞の受賞は,それはめでたいことだと思いつつ,あまりの浮かれた騒ぎぶりに,斜めに構えている人もいることだろう。日本人以外の受賞者についての報道がほとんどなく,世界には日本人しかいないかのような錯覚に人びとを導く報道は,オリンピックと同じことだが,せっかくだから,科学的発見やそれを生みだす教育ということについて考えてみる機会にしてしまえ,とも思う。
例えば,昨日のとあるニュース解説では,ノーベル賞の受賞者を増やすには,基礎科学研究に対する国の予算を引き上げること,とくに若手研究者の研究環境を整えること,などの提言がされていた。それはそれで,たしかに重要なことだ。(さらに言えば,国立大学に対する予算が毎年減額されていることや,教育に関する公的支出がOECD諸国中でも最低ランクということも,強調して伝えておいてほしかった。)
でも,こういう何でもお金,という話は,あまり元気のでる話ではない。膨大な借金財政を考えれば,予算増という提言は結局は絵に描いた餅でしかないと思うからだ。
そこで思い出したのが,本書である。
本書は,『週刊朝日』と『アエラ』に連載された斎藤さんの書評コラムを集めたものだが,その中で,『親子でめざせ! ノーベル賞』(石田寅夫著,化学同人,1999年)という本を扱った文章がある。
『親子でめざせ・・』は,99人のノーベル賞受賞者の生い立ちから,ノーベル賞がとれる子育てを学ぼうとする本とのことで,コンセプトを聞いただけで眉を寄せる人もいるだろう。しかも,それぞれの子育ての極意を,本書の著者は歌にしてまとめているという。例えば,フロンティア軌道理論でノーベル化学賞を受賞した福井謙一氏については,
 <父親が 子供の気持ち 無視をして 決めた分野で ノーベル賞!>
と,歌っているとのこと。福井氏は,理学部に進みたかったのだが,父親に反対されて工学部に行ったのだという。
以下,斎藤さんの文章。

「こんなのが99人分あるんですよ,歌付きで。なんて役に立つのだろう。
ところが,この本,いくらお父様がた,お母様がたにおすすめしても,シャレだと思って取り合ってくれない。新聞の書評欄でも取り上げようとしたが,アハハと笑われておしまいだった。あのね,そんなだから日本の家庭教育は性根がすわってないっていわれるのよ。この本にはわが子を賢くする極意が記されている。私が発見した99人に共通する唯一の方法はこれ。
子どもは矛盾の中にたたき込め!」(278頁)

これを,このブログ風の文章に書き改めれば,「重層する場を自覚せしめよ」となるか。
軽妙に書かれているから,不真面目だというわけでは決してない。むしろ,真面目なことを真面目な形でだけ書くということに学者の文体の弱さがあり,文体の弱さが思考の弱さを許しているのではないか。
そんな気にさせる力を,斎藤さんの文章から感じている。