精神病理学における<歴史不在> その2

渡辺哲夫『二〇世紀精神病理学史 病者の光学で見る二〇世紀思想史の一局面』ちくま学芸文庫,2005年


本書には,見逃すことのできない史実の記述が散らばっている。いくつか紹介しておきたい。

「[ドイツの精神医学者で,現代精神医学の基礎を造りあげた]エミール・クレペリンフロイトと同年,一八五六年に生まれて,一九二六年,七〇歳で死んだ。生粋のドイツ民族であることを自負する,精神医学界の大御所として死んだ。フロイトよりも一二年も早く死んだ。ここで彼が一九二一年,六五歳のときに書いたエッセイ風の論文『根こそぎ状態について』の一部を引用する。

「・・・特にユダヤ民族のあの容認しがたい国際主義は,この民族に課せられた「民族意識の根こそぎ状態」によって育成されたと考えてもよかろう。また,自分からその血統共同体を抜け出した人物たちの惨めな役割に注意を促したい。遺憾ながら,ドイツ民族はこの根こそぎ状態の危険にとりわけ高度に曝されているように思われる。異民族に属する人たちとの結婚はこの危険に手を貸すものである。・・・」

・・・
私はこのクレペリンの文章を読んで正直,愕然とした。この文章がひとりの政治家の文章と私のなかで強く共鳴したからである。言うまでもないだろう。アドルフ・ヒトラーの文章と強く共鳴したのである。」(77-78頁)

ナチズムと学者とのつながりの問題は,ハイデガーの例にあるように,深刻である。
もちろん,精神病理学という学問と,反ユダヤ主義というイデオロギーとは,ひとまず切り離して考えるべきだという立場も,それはそれでありうるだろう。
しかしそれは,学問の歴史性について,あまりにも無関心にすぎる態度ではあるまいか。

「史実に関して「もしも」が禁句であるとの常識を犯してまでも,私は,敢えて言いたい。クレペリンが一九二六年に死んだのは彼にとって幸運だった。だが,精神病理学にとっては大きな不運だったかもしれない,と。もしも「人種論の信奉者たる素地を内にもった」・・クレペリンが,フロイトのように長生きしていたならば,この精神医学の大御所が「ハイル・ヒトラー」と叫び,ナチ入党文書に署名していた可能性は否定できないからである。」(79-80頁)

このような科学者は,数多くいた。だから,著者の次の推定は蓋然性の高いものである。

「彼にあと一〇年の人生が与えられていたならば,「早発性痴呆(精神分裂病)」と「躁鬱病」という,現在もなおわれわれの思考と感受性を縛り続けている疾病論的二分法は,遺伝学的研究に代表される他の多くの優れた研究と同じく,ナチの医学,ナチの疾病論として,感情論的に捨て去られていた,少なくとも多くの疾病論のなかのひとつとして著しく相対的化されて低い評価を受けていたに相違あるまい。」(80頁)

著者が言いたいことは,特定の科学者への批判というのではなく,精神病理学というもののあり方,ひいては,学問そのもののあり方の危うさにかかわっている。

「私は小さなエッセイ風の論文ひとつでクレペリンの業績を批判したり否定したりするつもりはない。そのような目論見は不可能かつ無意味である。私が言いたいのは,ただ一点,精神諸科学の一分野を占める精神病理学の言説は政治思想史的な力と無縁ではなく,精神病理学的な「真理」は,つねに,国家権力の強弱と権力者たちの政治思想の関数に堕す危険性をもつという実情である。」(80頁)

ここで言われている「政治思想史的な力」とは,昨日の「歴史の力」に通じるメタファーなのだろう。
「歴史の力」を理解せず,「死物連鎖世界」としての歴史しかみないものは,学問を歴史から切り離し,それを体系的に整ったものとしか見ないのかもしれない。