隠喩の力

ピーター・サットマリ『虹の架け橋 自閉症アスペルガー症候群の心の世界を理解するために』(佐藤美奈子・門眞一郎訳)星和書房,2005年


人と人との関係が「壊れる」というとき,一体いかなる事態が生じているのか,ということをときどき考えます。
その答えのひとつは,一致していると思いなしていたことが実は異なっていたということに気づくこと,ではないでしょうか。
逆に言えば,一致しているという思いなしが,人間と人間との関係を築いている。その思いなしを支えるのが,昨日の例で言えば,一杯のスープ。必ずしも言葉であるわけではない,というところがミソでしょう。

自閉症アスペルガー症候群の人は,この一杯のスープからなる関係を築きにくい人々なのかもしれないと,本書を読んで思います。

「・・自閉症アスペルガー症候群の子どもたちの生活には,言語のみならず,世界の解釈においても隠喩は存在しません。・・隠喩のない生活とは,文字通りの世界と比喩的な世界との間に区別がないということ,つまりすべてが文字通りの意味だということです。・・」(166頁)

すべてが文字通りの意味の世界に生きるとは,どういうことでしょうか。

「隠喩のない世界を生きるということは,個々の物事の中で生活していくということです。経験を統合して,新しい問題に対する解決策を予想する能力,隠されたこと(感情,前後の文脈,もしくは一般的で抽象的なルール)が実際の存在に意味を与え,知覚の流れを理解できるものにするということに気づく能力,隠喩を解せず生活するということは,そのような能力をもたずに生きていくということなのです。」(167頁)

経験を統合するとは,たとえば,個別を抽象して概念を作ること,現実を捨象してモデルを作ること,でしょう。これら,抽象的思考に不可欠な思考作用が困難になったときに現れ出る世界,それが,作者の表現する「すべてが文字通りの意味」の世界,「個々の物事の中」での生活の意味なのだと思います。

ところで,この日記では,たびたび発達障害や精神的疾患の事例を取り上げていますが,そのたび常に,それは自分の言いたいことを言うためのネタでしかないのではないか,と反省をします。
もしかしたら,そうなのかもしれない,と恐れつつ,しかし,本書の作者が次のように述べているのと,是非とも同じ思いでいたいと,願っています。

「ASD[自閉症スペクトラム]の子どもたちが,病院,地域の期間,および学校で,その時代に合った効果の高いサービスを,しかも低費用で受けられる世の中になってほしい,そんな手段が充分に存在する未来を想像したい,それはあまりにも大それた夢なのでしょうか?この子どもたちが世間の片隅に追いやられてしまうのではなく,彼らを助け,教え導く人々全員から尊重され,そして愛されるような未来は,それほど途方もないものなのでしょうか?」(xi頁)