アナロジー

キース・J・ホリオーク/ポール・サガード『アナロジーの力 認知科学の新しい探求』(鈴木宏昭/河原哲雄監訳)新曜社,1998年


昨日の「隠喩のない世界を生きる」ということの意味を考えるために,拾い読みをしてみた。

「比喩的なことばの理解についての研究からも,人間の思考にとって比喩が基本であることがわかる。・・・たとえば,「ソクラテスはライオンであった」の字義どおりの解釈が間違いだと気づいて,やっと,比喩的な解釈を探す。しかし,このように比喩のプロセスが一種の代替説としてしか機能しないという考え方は,間違っているということが明らかになった。ジョン・ダンのいう「誰も孤島ではない」というのは,もちろん字義どおりに正しい・・・しかし,このように字義どおりに理解できる文章についても,私たちは比喩的な意味,「完全に独立した個人などいない」,を見いだせる。」(360-361頁)

比喩的意味は,字義的解釈が不可能な場合に働く代替的意味ではなく,字義どおりの意味と同根源的に作用する。
このような意味の立ち現れは,人間の認知の仕組みに組み込まれている,という。

「さらに,字義どおりの意味を見つけるように指示されたときにさえ,比喩的な意味を探そうとすることを,サム・グラックスバーグとボアズ・カイザーらは示している。・・・[彼らの研究の]このような結果は,字義どおりの理解プロセスと比喩的な理解プロセスは相互作用していることを示唆している。比喩的な解釈は字義どおりの[理解]プロセスの後に起こる選択的プロセスというよりは,むしろ,字義どおりのプロセスとともに起こる必須のプロセスであると言える。」(361-362頁)

このように,比喩的解釈と字義的解釈は相即的に成り立つ。(ただし,昨日までの観点から見るならば,それは「健常者」においては,という条件づきになるのだろう,か。)
これにつづけて,字義どおりの解釈と相即的な比喩的解釈を,筆者はアナロジー的な思考を基盤とするものとして分析する。

「もし,比喩が字義どおりの文や単なる比較の簡略表現でないとするならば,何なのだろうか。すでに述べたように,比喩にはアナロジー的な思考と同じ心的プロセスがかかわっている。だから,比喩にとっての基盤はアナロジーの多重制約理論の観点から理解できるし,さらに比喩の神秘のいくつかを解き明かすことも可能になる。鍵になる考え方はもうなじみとなったもの,すなわち,比喩はターゲット領域(比喩の主題)とベース領域の間の対応を見つけることによって理解される,という考え方である。そして,ターゲットとベースの領域が相互に離れるほど,アナロジーの比喩性が強くなる傾向がある。・・・」(364頁)

ここで,ターゲットとベース,さらに次の引用に出てくるスキーマを説明しておこう。
例えば,子どもが「木は,鳥の庭なんだ」というばあい,ベースは「子どもの世界=人:庭」。これをベースにした理解の標的(ターゲット)が,「鳥の世界=鳥:木」である。
この,「人:庭=鳥:木」の関係がアナロジーである。
比喩的な表現は,このアナロジー関係を基盤としている。このアナロジーを基盤として,スキーマが形成される。
スキーマとは,ベースとターゲットの類似性に基づいて新たに形成されるカテゴリーの心的表象である。(例えば,音と水の二つの類似性から,波という表象が形成される。)
スキーマは,個々の事例の特殊性を取り除いた,それぞれの事例に共通する構造であり,いったんスキーマが獲得されると,それによって,様々な状況におけるアナロジー関係が想起されるようになる。つまり,スキーマによって,個別事例を対応づけることが容易になる。
以上を踏まえて,次を読んでみよう。

「人は,ベースをターゲットに対応づけ,その結果生み出される対応関係を用いて,ベースとターゲットを包摂するスキーマを作りだす。・・・「私の仕事は牢獄だ」を理解するためにアナロジーを使う過程で,このスキーマが実際に現れるのである。」(366頁)

ベースは「牢獄」。ターゲットは「私の仕事」。牢獄と仕事のアナロジーを基盤に,「拘束するもの」というスキーマが現れている,ということだろう。

「アナロジースキーマの形成が繋がることにより,ベースとターゲットの相互作用による両者の理解の変化に比喩がどのように関与するのかが明確になる。・・もし,私があなたに「私の仕事は牢獄だ」と言ったら,あなたは私の仕事が不愉快で,拘束されていて,簡単に辞められないというようなアナロジー的推論を行って,ターゲットである「私の仕事」についての認識を変えるだろう。しかし同時に,ベースである牢獄も拘束するものについてのスキーマとして,新しくもっと抽象的な意味をもつようになるだろう。」(367頁)

著者らは,ベースとターゲット,およびスキーマという概念枠組みによって,認知の仕組みを説明するだけでなく,それを通して新しい意味が創出されていくとも述べている。この新しい意味創出については,さらに次のようにまとめられる。

「比喩のアナロジー的中核,つまり,創造的な心の飛躍の基盤は,ベースとターゲットの共生関係に依存している。ベースは基本的な関係構造を提供し,それなしでは比喩表現が意味をなくしてしまう。この構造により,ターゲットに対する対応づけがおき,ターゲットについての新しい推論がうまれる。しかし,これらの推論はただちに選別され,ターゲットについて知っていることと一致するようなものだけが残される。そして,比喩を理解した結果として,その対応づけが一般化されてスキーマが形成され,最終的にはベースの新しい字義どりの意味を生み出すことができる。」(368頁)

創造的な心の飛躍の基盤である比喩のアナロジー的中核。人間の精神的生活を成り立たせるために,これは不可欠なものと言えるだろう。逆に言えば,この比喩的能力が弱まった場合,人間の精神的生活は危機に瀕すると言えるのかもしれない。
もちろん,ピーター・サットマリ(8月2日参照)の言う「隠喩のない世界」と,本書で分析されたアナロジーや比喩を,直接につないでいいのかどうかという問題は残るが。