ペシャワール会 2

中村哲『ダラエ・ヌールへの道 アフガン難民とともに』石風社,1993年


すでに報道されているように,ペシャワール会伊藤和也さんの遺体が発見された。NHKオンラインのニュース記事(28日19時46分)には次のようにある。
「亡くなった伊藤さんの遺体は木のひつぎに入れられ、日本時間の28日午後、所属していたNGO「ペシャワール会」の代表、中村哲医師らに付き添われ、アフガニスタン軍のヘリコプターでジャララバードからカブールに移されました。出発前、ひつぎは地元の人たちの手でヘリコプターに乗せられ、黒いスーツ姿の中村代表は、大勢の人たちから次々とお悔やみのことばをかけられていました。」
一昨日(8月26日)の日記に書いたように,私はペシャワール会現地代表の中村哲氏の講演を一度聴いたことの他は,数冊の書物を通して,ペシャワール会の活動を知るだけのものである。伊藤さんについてはまったく知らない。
たしかに知らないのだが,しかし,彼は立派な人生を生きたのだと思う。
やや古いが,上の著作のなかで中村氏は次のように述べている。

「日本人の特性は,そのチームワークと勤勉さと緻密さにある。だが特にペシャワールのような所では,これが裏目に出る。地元の時間的ルーズさや,仕事の粗雑さは耐え難く,かといってそれを話せる意志疎通の手段を持たない。そこで,どうしても日本人で固まりやすく,周囲と障壁を作ってしまう。一匹狼の集合のような現地社会では,明確な意思表示,敵を作らぬ社交性,地元の文化の尊重が不可欠である。また,たとい命を落としてもくよくよしないおおらかさが要る。」(222-223頁)

「たとい命を落としてもくよくよしないおおらかさ」とは恐れ入る。しかし,そういうものがなければ,結局,現場では役に立たないということなのだろう。
現地ワーカーは,現地でどれだけ役に立つかどうかがすべてである。日本での履歴や背負ってきたものの重さなどは,現場では何の役にも立たない。

「いかに「ヒューマニズム」に燃えた総論的なアイデアがあっても,それは具体的な場面で力がなければ無意味である。総論から各論は展開しない。各論から全てが始まる。しかし,これは現場での「実地指導」でも難しい。結局は本人が試行錯誤を重ねて身につけざるを得ないものである。」(224頁)

伊藤さんは,この「試行錯誤」を重ね,現地の人びとに信頼されていくようになったのだろう。
そして,できる人間だからこそ,中村氏は伊藤さんを信頼し,それが結果的に,撤収の「遅れ」につながった。しかし,誰がその「遅れ」を非難できようか。
伊藤さんのお父様は,和也さんを「家族の誇りだ」と語った。
中村氏は,アフガンでの支援活動の継続の意志を表明している。