崩壊した共和国

脇圭平『知識人と政治 ドイツ・1914〜1933』岩波新書,1973年



夜,ふとテレビを付けると,福田総理大臣が辞任を表明したとのニュース。
日本という国の政治の,深い深いところで進行している病のあらわれのような気がする。
責任を負った特定の政党や政治家を批判することは,当然のことである。
しかし,政治に対して何を語るべきか,ということを考えるとき,そのような批判だけではなくて,日本の政治を励まして,育てていこうとする意志を,できるだけ多くの人が表明していくことが必要ではないだろうか,と思う。
ラディカルな言葉は,もちろん失われてはいけないが,それがシニシズムを呼び起こし,無力感を引き起こし,政治的行動に意味づけを与える枠組み自体が破壊されることの損失は,実にはかりがたい。
比較可能ではないかもしれないが,とある共和国が崩壊した過程を思い出す。

「「ドイツの知識人の精神状態は,1933年になるずっと以前から,冷笑に近い懐疑と絶望のそれであった」と政治学者のノイマン Franz Neumann は書いている。・・トゥホルスキーは,この言葉が誰よりもよく当てはまる,典型的なワイマールの左翼知識人といってよいだろう。ユダヤ系の生粋のベルリン子であり,機智と風刺にあふれた,独特の文芸雑録的文章によって,人びとを喜ばせ,かつちぢみ上らせた彼。「革命が行為によって成就することに失敗したものを,言葉によって成就しよう」・・として,誰よりも闘い,かつ誰よりも早く絶望したこの「言葉のラディカリスト」。─トゥホルスキーの悲劇は,その完全無欠な共和国理念と共和国の政治的現実との間の一切の架橋の試みを,理念そのものに対する裏切りとして拒否し,その理念を近似的にでも実現させることになったかもしれない政治的基盤そのものまでも掘り崩してしまったという悲劇である。」(181頁)

政治的現実を懐疑し,それに絶望することは,知的な人間らしい振る舞い方にみえるかもしれないが,しかしそれは,徹底的に知的であるわけではない,と思う。