神話的英雄の形姿

プルタルコスプルタルコス英雄伝 上』(村川堅太郎編)ちくま文庫,1987年(筑摩書房,1966年)


古層の共同体意識は,神々や英雄の舞台である。
日常的な<はなし>の世界(9月6日参照)では,あまり表だってあらわれることのないこの神話的意識の叙述の事例が,神話や史書,英雄伝とよばれるものに結晶化する。
それは,活ける記憶としての性格が失われたがゆえにこそ叙述されるのだろうが,しかしそうした叙述を通して,歴史的・神話的な水脈を後世に伝えていったのではないだろうか。
プルタルコスは,紀元50年頃から120年頃を生きた古代の文人ギリシアの地に生まれ,当時まだ学芸の都であったアテナイに学び,ローマの人々と交際した。プルタルコスが生きたのは,ローマではまだキリスト教が広まる以前の時代である。それだけに本書は,古典古代人の考え方,感じ方というものを典型的に示す古典といえる。
以下は,紀元前8世紀頃の古代スパルタの伝説的立法者リュクルゴスの章から。リュクルゴスが国政改革に取り組むに至るまでの過程,改革政策を述べた上で,プルタルコスは次のようなエピソードを記している。

「富裕者はとくにこの政策[共同食事の政策]のためにリュクルゴスに憤慨し,彼に反対して一団となって徒党を結び,非難の叫びを挙げ不平の様子を示したと言われる。ついに多くの人々に石を投げられ,彼は走って広場から逃げ去った。そして,他の人々よりも先にある聖所に着いて,そこに難を避けた。しかし,アルカンドロスという,他の点では愚かではないが,激しく怒りっぽい一人の青年が攻めて立て追い迫って,リュクルゴスが振り向いたときに棒で打って片方の目を叩き出した。リュクルゴスはその災難に少しもひるまず,向い合って立ち,市民に血まみれの顔とつぶされた目を見せた。それを見た人々は大きな恥ずかしさと気落ちにとらえられた。そこで,人々はアルカンドロスを彼に引き渡し,一緒に憤慨して家まで送って行った。リュクルゴスはその人々を称賛して引き取らせ,アルカンドロスを家へ引き入れたが,何ら害を加えることも悪口を浴びせることもなく,使い慣れていた召使や従者に暇をやって,召使の仕事をするように彼に命じた。この人は賤しい生まれではなかったが,命ぜられたことを黙々と行い,リュクルゴスのもとに留まって生活をともにし,彼の精神の穏和さと深さ,生活上の厳格さ,および労苦に対する不屈さを知ることによって,自分でもその人について畏れの気持ちを抱き,また親しい者や友人に向って,リュクルゴスは過酷でも我儘でもなく,他の人々に対してやさしく穏和なのは彼だけだと言うようになった。・・」(66-67頁)

よく知られているように,プラトンはリュクルゴスとスパルタを称賛し,プラトン学派の影響を受けたプルタルコスも,その称賛を引き継いでいる。
プルタルコスの著作は,キリスト教が支配した中世には忘れられ,再び注目されるのは,近世にはいってからだと言われる。リュクルゴスは,マキァヴェリやルソーなどの近代西洋の政治思想家に高く評価されることになる。
なお本書は,村川堅太郎氏による独自編纂が施されており,二人の人物の生涯を比較する「対比列伝」という原典の形式にはとらわれず,取り上げられる人物は便宜的に並べられ,全訳でもない。
邦訳としては他に,河野与一訳『プルターク英雄伝』岩波文庫,全12巻,英語からの重訳で,鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝』改造社,全6巻/潮文庫,全8巻(『プルターク英雄伝』潮出版社,2000年,はここからの選録),そして最近のものとして,柳沼重剛氏による『英雄伝』京都大学学術出版会がある。読みやすさとしては,後二者がまさるようだ。