ユダヤ人・イエスとキリスト・イエス

ヤロスラフ・ペリカン『イエス像の二千年』(小田垣雅也訳)講談社学術文庫,1998年(原本は『文化史の中のイエス』新地書房,1991年。原著は1985年)


1990年の日付のある訳者あとがきによると,著者ペリカンは,1923年生まれで,イェール大学歴史学部の Sterling Professor(イェール大学における学術的に最高の職位)。祖父,父ともにルター派の牧師で,自身もルター派の聖職であるという。代表作である『キリスト教の伝統』は,日本でも教文館より出版されている(鈴木浩訳,全五巻)。
標題の「イエス」とは,もちろんキリスト教におけるイエスのことである。
著者によれば,「イエス像の最も著しい特徴は,不変性ではなくて万華鏡のような変幻性である」(22頁)という。著者は,シュヴァイツァー(アフリカ医療に尽くしたこの著名な人物は,30歳までは神学と芸術に身を献げ,その分野でも才能も発揮した)の言葉を用いて,次のように説明する。

「・・「それぞれの時代が,イエスの中に自分自身の思想を見出した。実際,それこそがイエスを生かしうる唯一の道だったのである」。と言うのは,類型化して言えば,人は「自分の性格に応じてイエスを造り上げたのである」。そして,彼[シュヴァイツァー]はつぎのように結論づけている。「イエス伝を書くことほど,ある人の本当の自己を露わす史的作業はない」。」(22頁)

これは,イエス像を描くことに限らず,思想史の作業,あるいはさらに一般化して言えば,歴史というものの作業に,ひろく見られる特質だろう。
しかし,イエス像が取り分けて重要なのは(信仰者にとってはもとより重要だろうが,そうでない人にとっても重要なのは),西洋世界において占めたその位置のゆえに,多様で広範な時代,それを生きた人々の性格が,そこにうつし出されているからである。
そして,そこにうつし出されるところの性格は,歴史の継続性を通じて,我々自身にもなんらかの仕方でかかわっているのかもしれない。
例えば,日本人の自我意識の形成にとって重要な地位を占める日本近代文学にとって,キリスト教は正統的な思想の地位を占めていた,ととある批評家が書いているのを読んだことがある。(例えば太宰治は,この正統的な思想を前にして,罪の意識に悩まされた,という。この罪意識は,キリスト教を正統的な思想と位置づける前提がなければ,理解しがい,と。「裏切り者」ユダの独白形式をとった『駈込み訴え』(ちくま文庫太宰治全集では3巻に所収)は,最近のユダ研究によれば,歴史的な設定は問題があるようだが,イエスに対する愛憎を表現した作品としては,すぐれていると思う。)
ところで,このイエスは,ユダヤ人である。イエスは,ユダヤ人の宗教的伝統の中に育ち,しかも同時に,それを刷新しようとした。この二重性が,イエスという存在を理解するために,また西洋の歴史を理解するために,忘れてはならないことだ,とペリカンは言う。たしかに,しばしばイエスキリスト教の「創始者」(このような表現は厳密には正しくないが)としてのみ理解され,そのユダヤ教的な起源や背景が忘れられている。
本書の最初の章においてペリカンは,新約聖書のなかでイエスが「ラビ」(ユダヤ教の教師)と呼ばれていることを取り上げる。現代においてキリスト教を理解するためには,この意味でのイエスに注目することが不可欠だとペリカンは考えている。

「後代,イエスを理解するにあたって,このイエスをラビとする解釈は繰り返される必要があった。・・イエスをラビであるとする意見に考慮をはらう人で,[ユダヤ教の]会堂と[キリスト教の]教会,イエスが属した人々[ユダヤ教徒]とイエスに属する人々[キリスト教徒]との関係についての以後の歴史を無視するような人はいない。そして,この歴史を考える際に,最近の次のような言葉を心にとめることは重要である。「より近い時代の出来事をわれわれが今認識するのと同一の基盤に立って,遠い過去を判断しても良いという免許証をわれわれはもっていない」。しかし,それにもかかわらず,キリスト教徒とユダヤ教徒との宗教的・道徳的・かつ政治的関わり合いは,一本の赤い糸のように,文化の歴史の大部分を貫いて走っている。・・二〇世紀に生きているわれわれは,この赤い糸に注目しなければならない特別の責任をもっている。・・」(52頁)

もちろん,ここに言われる二〇世紀とは,ホロコースト,ショア,あるいはアウシュヴィッツという言葉で指し示される世紀のことである。

「・・マルク・シャガールの『白い十字架』[1938年,本書53頁に図版あり]は,この赤い糸の存在を強力に主張している。このシャガールの絵の中の十字架につけられたイエスは,特徴のない腰覆いは着けていなくて,その代わり,敬虔で律法を遵守するラビが身に着けるターリート(ユダヤ教の祭服の一種で,房のついた腰かけ─訳注)を着けている。「人々はあなた方を会堂から追放するだろう。しかも,あなた方を殺す者が皆,自分は神に奉仕していると考える時が来る」(ヨハネ伝,16の2)というイエスの予言は,彼の弟子であると主張した人々がユダヤ人たちを十字架につけることで,自分たちは神に奉仕していると考えた時,全く皮肉な仕方で成就したように見える。・・」(52-53頁)

ペリカンは,ラビ・イエスイスラエルに属するイエスを忘れたところに,キリスト教の根源的な課題をみている。「皮肉な仕方」での予言の成就に関して,ペリカンは最終章で次のように述べる。

「・・特に第二次世界大戦後,キリスト教全体を通じての大きな問題となっているのは,キリスト教とその親の宗教であるユダヤ教の関係である。ナチによる「ユダヤ人大虐殺」(the Holocaust)はキリスト教国と言われている国で起こったのであり,しかも,それに反対する教会の記録は,キリスト教史の中での最も高貴なページとは言いがたいのである。ドイツのローマン・カトリックプロテスタントの信徒たちの中には・・ユダヤ人の「殺害に賛成していた」(使徒言行録,8の1)者たちがいた。また,それより多くのキリスト教徒たちは・・その状況に対して盲目的に無自覚であった。・・
このキリスト教ユダヤ教の関係を考え直そうという気運は,部分的には世界に広まった「ユダヤ人大虐殺」(ホロコウスト)の恐ろしさの結果であるが,部分的にはキリスト教の側の理解と反省が深まったことからも起こったことである。その結果,キリスト教は現代,第一世紀以来最も根本的に,ユダヤ教の位置を再考し始めている。皮肉なことに,ナチの反ユダヤ主義,ドイツにおける「ユダヤ人大虐殺」が起こった時期は,イエス使徒たち,そして,新約聖書がもともとユダヤ教から発生したものであることについての自覚,[1962年から1965年にかけて開かれたカトリック教会の]第二ヴァチカン会議が言葉でその表現を与えた自覚を,キリスト教が新しく発展させた時期でもあった。二〇世紀での最も影響力のある聖書辞典の一つであるゲーアハルト・キッテル(Gerhard Kittel)の編集にかかる『新約聖書神学辞典』(Theologisches Wörterbuch zum Neuen Testament)の第一巻が現れたのは,一九三三年,ドイツにおいてナチ時代が始まった年である。そしてこのキッテルの『辞典』の何百もの項目から引き出されるべき,学問的・神学的に普遍化しうる最も重要なことは,イエス自身の教えと言葉を含めて,新約聖書の教えと言葉は,ユダヤ教の文脈の中に置かれることなしには理解不可能だということである。」(412-413頁)

キリスト教会のために述べておくならば,もちろん,ヒトラーに抵抗した牧師もいるし,抵抗運動の中で殉教した人々もいる。亡命のチャンスがありながら,あえてドイツに戻ってヒトラー暗殺計画に加担した神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーは捕らえられ,ヒトラー体制崩壊の直前に処刑された。理論的にナチズムを批判しただけでなく,フランクフルト大学の哲学部長として,問題を起こしたナチ党員を大学から追放するようにと主張した神学者パウルティリッヒは,亡命を余儀なくされた。しかし,たしかにペリカンが指摘するように,総じてキリスト教会の態度は,思い返して学びたいという類のものではない。
エスユダヤ人の出自であることが深く自覚されていたのなら,また同じように,カトリック教会において聖母と慕われるマリアが,「ユダヤ人の乙女」として理解されていたのなら(54頁を参照),ホロコーストに象徴される西洋の歴史は,違ったものになっていたのかもしれない・・・このようなペリカンの叙述は,キリスト教に対する痛切な反省をふまえて出てきたものだということを,理解しなければならないだろう。もちろん,そうした歴史における仮定はナンセンスだという指摘を直ちに受けそうだが。
ところでペリカンが,このようなユダヤ人としての出自(個別性)を強調するのは,イエスの役割を低く見積もるためではない。むしろ,逆に,イエスの普遍性のためである。上の引用に続く本書の末尾で,ペリカンは次のように述べている。

「以上のような宗教的信仰と学問の潮流の奇妙な混交によって,そしてまた,懐疑主義と宗教的相対主義のそれに劣らぬ強力な影響によって,イエスの特殊性をもった普遍性は,かくして,二〇世紀のキリスト教に対してのみならず,人間性に対しても一つの問題となっている。・・「世紀を通じてのイエス」像の統一性と多様性は,彼の中に哲学や神学的キリスト論の,思いも及ばぬものがあることを証明しているのである。教会の中でも,またその壁をもはるかに超えて,彼の人格と使信は,アウグスティヌスの言葉にあるとおり,「古より,常に新しき美なるもの」である。そして,彼はいま,世界に属しているのだ。」(414頁)

歴史的学問の発展にともなって,人間の営みを相対主義的に評価するようになるのが当たり前になると,それではいったい人間性の価値(人間の行為の価値,人間の偉大さ)とは何か,ということが根本から問われることになる。学問は,人間の行為を歴史や状況から説明し,その人間固有の創造性や偉大さについては沈黙する(傾向が強くなる)からだ。
おそらく,こうした個別性に傾きがちな事態を,「人間性」という普遍性が問われる事態だとペリカンは受け止めている。この問題を真摯に受け止めるならば,イエスという人物をどう見るかという問題は,決してキリスト教だけの問題にはとどまらないことになるだろう。
なお,マリア像の歴史に関してペリカンは,Mary through the Centuries を1996年に出版した。日本では『聖母マリア』(関口篤訳,青土社,1998年)という邦題で出版されている。