反西洋思想(1)

I・ブルマ&A・マルガリート『反西洋思想』(堀田江里訳)新潮新書,2006年


本書のカバーには次のような紹介がある。「ナチズム,毛沢東思想,「近代の超克」,イスラム原理主義・・・。「西洋」を敵視して戦いを促す思想は,昔から絶えることがない。西洋はなぜ憎まれるのだろう?「敵」は西洋の何が気に入らないのか─」
本書は,これら(西洋にとっての)「敵」によって描かれる非人間的な西洋像のことを「オクシデンタリズム」と呼び,「こうした偏見の数々を検討し,その歴史的ルーツをたどろう」(17頁)とするものである。
もちろん著者らは,「テロとの戦い」を推進するためにこの本を書いているわけではない(そうした読まれ方の可能性はあるだろうが)。
著者らの意図は,「何がオクシデンタリズムの原動力になっているかを理解すること」(27頁)にある。それは,非西洋地域に生きて,オクシデンタリズムに感染しやすい私たち自身を理解することでもある。
著者らによれば,西洋に対する敵意は次のものに向かってるという。

「・・矛先は,尊大,貪欲,軽薄で退廃的な根無し草のコスモポリタニズムに彩られた「都市」であり,科学と理性に裏付けられた「西洋的考え」であり,自らを犠牲にする英雄とは反対に,自己保身に走る「ブルジョワ階級」であり,純粋な信仰世界のために倒さなければならない「不信心者たち」だった。」(27頁)

以下,日本人にも比較的わかりやすい,「自己保身に走る「ブルジョワ階級」」(この系列には西洋帝国主義が含まれる)への反発を紹介しよう。

「民主主義のオクシデント(西洋)に足りないのは,犠牲と英雄行為だ。毛沢東スターリンと違い,民主国家の政治家たちは「偉大さへの意志」に欠けている。トクヴィルは軍事的栄光を「民主的共和国にとって最悪の災害」と評した。しかしヴェルナー・ゾンバルトやジャック・ヴェルジュのようなオクシデンタリストにとっては,人間にとって最も崇高な「英雄的な死」を切望しない国民は,軽蔑の対象なのだ。」(97-98頁)

英雄的な精神への愛好,それとともに反英雄的で凡庸な「民主主義」への嫌悪は,西洋においても生じた。ただ,西洋のなかでも周縁のドイツで強い発想であった。

「ドイツ知識人の中には,第一次世界大戦の敗北を「西洋化」が社会を腐食した結果だとする意見があった。エルンスト・ユンガーの弟,フリードリッヒ・ゲオルク・ユンガーは,いみじくも『戦争と戦士』と題されたエッセイの中で,ドイツが大戦に負けたのは「文明,自由,平和」などの西洋的価値観を受け入れて,あまりにも「西洋の一部」になってしまったからだと主張した。」(99頁)

このようなドイツ・ナショナリズムの発想は,日本でも受けがよかった。著者らは,このようなナショナリズムによって,帝国主義との戦争における死を正当化した事例として,日本の特攻隊員を取り上げている。

「すべての近代ヨーロッパ思想の中で,非西洋世界のインテリ層に最も受けが良かったのが「ドイツ・ナショナリズム」・・だったのは驚くべきことではない。ドイツの民族ナショナリズムは,西洋帝国主義の普遍性の主張に反発するものだったからだ。
新たに解釈し直された土着の思想と反動的なヨーロッパ思想の,時に致命的な組み合わせは,さまざまな形の「死の崇拝」を生み出した。これは,あらゆる面において最も「西洋化した」アジアの国,日本において顕著だった。
20世紀の戦争における最も恐ろしい,そして間違いなく最も知られた人間義性のシンボルは,カミカゼパイロットたちである。・・もう一つの「特別攻撃」は・・人間魚雷として潜水艦から発射する戦術だった。この作戦に参加した兵士の一人は,桜の花枝をしっかりと握りながら,地上での最後の想いをこう説明した。
「・・私は自分の年齢を考えた。19歳の春である。『純な清らかなまま死ねること,人々が惜しんでくれるうちに死ねることこそ真の武士道だ』という言葉を思い返していた。そうだ,いま武士の道を進んでいるのだ。・・」」(101-102頁)

わずか19歳にしての,武士道による従容とした死の受容(実際にそれほど落ち着いていられたのかどうかはわからないが,文面だけからはそのようにみえる)。これが,「新たに解釈し直された武士道」(武士道は本来そのようなものではなかった。勝利の見込みなどない主人からはさっさと退散したものだと言われている)による死だとすれば,インテリの若者においては,そのうえさらに「反動的なヨーロッパ思想」をもって西洋との戦いを正当化することが行われた。

「これらの若者は愛国的で,理想高く,軍国主義の[死を美しいこととしたり,武士道を称揚したりする]プロパガンダに対してはしばしば警戒的だった。西洋資本主義や帝国主義はもちろん敵視していたが,皮肉にも彼らの究極の犠牲(そして理想)はしばしば西洋の観念によって正当化され,明瞭に表現されていた。彼らはいわば,西洋に西洋を刃向かわせたのだ。その意味で,近代日本の典型的な申し子と言えよう。というのは,それこそ19世紀半ば以降の日本が常に行ってきたことだからだ。」(104頁)

三カ国語も読みこなすようなインテリ大学生が,当時好んで読んだのは,ニーチェヘーゲルフィヒテ,カントなどのドイツ哲学。そして,ジード,ロマン・ロランなどのフランス文学や,トーマス・マンやシラー,ゲーテなどのドイツ文学であった。これらは,すべてが「反動的なヨーロッパ思想」というわけではなかった。
しかし,理想を抱いた若者として,西洋帝国主義の横暴やブルジョワ自由主義の腐敗などに対抗しようとする彼ら知的エリートは,西洋の思想をもって西洋と戦おうとしたのである。

カミカゼ特攻隊が戦った敵は,アメリカだけではなかった。彼らは自分たちを,西洋による日本の腐敗,資本主義の利己的な貪欲さ,自由主義の倫理的空虚,アメリカ文化の軽薄さなどと戦う,一種の知的反逆者として見ていた。そしてニーチェヘーゲルフィヒテマルクスなどの読書を通じて,そのような考えを強固なものにしていった。」(112頁)

そのような彼らが,特攻の死をどうやって受け入れることができたのか。その分析は,本書においては十分に深められず,次のように記されるだけである。

「[彼らは]自分たちの犠牲が,日本を勝利に導く土壇場での飛躍になるとは滅多に信じていなかった。それを信じるには,彼らはあまりに知的だったのである。しかし多くの者が,自らの死の純粋さや無私が,より良く,より公正で,より本物で,より平等な日本への道を示すことを願っていた。」(113頁)

ところで,特攻隊の物語を何らかの仕方できいている日本人にとっては,特攻隊と現代の自爆テロとを同じ水準で語られることに,あるいは抵抗を感じるのではないだろうか。しかし,標的にされた側からすれば,それは同じ性質の「敵」による攻撃とうつる。本書でも,特攻隊のあとにイスラム原理主義の暗殺やテロの話題が続く。

「日本のカミカゼ戦術は,1982年のイスラエル侵攻後のレバノンで,ヒズボラによって再び採用された。1983年10月,爆弾を積んだトラックを運転する自爆テロリストによって,241名の米兵が殺害された。その10年後,自爆戦術はパレスチナ人によっても採用された。」(118頁)

ここから,さまざまな理解の可能性を想像することができるだろう。
(日本人の多くが)特攻隊員の死を悲しむように,自爆テロリストの死を悲しむ人が世界にはいるのではないか。
自爆テロによって殺された者の遺族がテロを憎むように,特攻隊攻撃を憎むべき狂気としてしか受け入れられない人が世界にはいるのではないか。
不健全なナショナリズムオクシデンタリズムへの感染を防いだり,あるいはそれを自覚したりするためには,理解の幅を広げ,ときにさめた目で自己をみつめる以外の手立てを,私は思いつかない。歴史や思想を学ぶ意義の一つは,そこにあるのだと思う。