個人をつくるもの(1)

作田啓一個人主義の運命─近代小説と社会学岩波新書,1981年


作田啓一氏の文章は,10月19日に『仮構の感動』から「社会化と教養」を取り上げたことがある。本書もそこでふれたテーマに関連する著作であり,文学的素材と社会学的分析を結びつけ,近代における「個人主義の運命」を鮮やかに描き出している。
著者は,現実の人間が三角関係のような複雑な人間関係(三者関係,あるいは三項図式)によって悩むにもかかわらず,社会学がそのような人間関係を扱わないのはなぜかと問う。

「その原因[三者関係という主題の欠落]は,三者関係という主題を生み出す背景となっている基本的前提が欠けていることにあるようです。その前提とは,三者関係こそ社会の最も要素的な形態である,という前提です。社会学者の多くは,二者関係こそが社会の基本的形態であると考えてきました。したがって二項図式を前提として社会現象をとらえる構えが,最初からとられてきました。ここに,主題としての三者関係の欠落の決定的な原因があるように思われます。
それでは,社会学者の多くが,なぜ三項図式ではなく二項図式を基本的な前提としてきたのか。・・結論を先取りして言えば,西欧近代社会を生み出した思想的要因であり,かつその支柱でもある個人主義の上に立って,社会学という学問が成立したためである,というのがその答えです。」(6頁)

上の引用の中の二者関係,あるいは二項図式について,あまり詳しい説明はないのだが,おそらく「個人と社会」等の枠組みを想像すればよいだろう。(追加説明。二者関係とは,要するに,主体と客体との関係ということ。説明するまでもない,ということだったのであろう。)
さて,以下では,本書の第一章,第二章からいくつかの言葉を拾い出して,近代における個人主義の問題性をみていくことにする。
第一章「ジラールの文芸批評」で著者は,フランスの文芸批評家・思想家のジラールを独自に社会学的に読み替えて,この問題(なぜ近代では二項図式が支配的となったのか)を追究する。
著者によれば,ジラールは現代に広がっている作家の個人主義的な態度を批判する。

個人主義的な態度の明確な定義は,彼の仕事のどこを探しても見あたりませんが,それはおよそ次のようなものであると解することができます。
「人間はどんな媒介者とも無関係に自律的に客体へ働きかけることができるはずであり,またそうであることが望ましい。」
・・・
しかし,人間は本性上自律的であるという見方は,ジラールによれば「ロマンチックな虚偽」に陥っているのです。」(17-18頁)

現実の人間は,ジラールによれば,媒介者を通じて他者へ働きかける存在である。つまり,人間は,媒介者をモデル(手本,模範)として自己の欲望を形成し,外に働きかけるようになる存在である。
媒介者には,いろいろある。映画をみたり,小説を読んだり,あるいは現に生きている人にあって,「これはすごい!」「こんなふうに生きたい」と思うもの。それは,単にあこがれの存在の場合もあるだろうし,ライバルのような場合もある。これらの媒介者を通じて,人間は,自分の欲求(「こうなりたい!」)を作り上げていく。言い方を換えると,自己の欲求とは,媒介者の欲求の摸倣なのである。
ところが,このような媒介者を近代という時代は覆い隠してきた。
第二章「個人主義思想の流れ」は,西洋近代における個人主義の流れを振り返りつつ,それをいくつかのパターンに分析し,媒介者の不在の意味を問う。

個人主義という言葉は西欧の近代から始まりました。A.ド・トックヴィルは『アンシアン・レジームとフランス革命』の中で次のように述べています。
「われわれの父たちは,今日われわれが鋳造して用いるようになった個人主義という語をもたなかった。なぜなら,当時は集団に所属していないような,また自分を絶対に独りであるとみなすような個人は,実際存在しなかったからである。これに反して,フランス社会を構成している無数の小集団は,ただ自分たちのことだけを考えていた。こう表現してよければ,それは一種の集団の個人主義(individualisme collective)であって,これが今日の真の個人主義に魂を準備したのである。」」(76頁)

集団=共同体の秩序が壊れてくる歴史的契機として挙げられるのは,まずは宗教改革である。

プロテスタンティズムにおいては,宗教を外面化することは宗教を堕落させることだという頑固な信念がありました。個人の魂の密室においてのみ宗教は純粋さを保ちうるというのが,プロテスタントの信念でした。」(86頁)

こうした宗教改革の運動を通じ,神に対する個人の直接的関係が強調されるようになり,個人主義への傾斜が始まる。
さらに著者は,経済,政治の方面における個人主義化の動向をも紹介した上で,これら個人主義的動向が,国家と中間団体との闘争の営みであったとし,その闘争に伴って近代における自由の意味も変容したと指摘する。

「近代政治史において生じた真の闘争は,国家と個人とのあいだで行われてきたと,しばしば語られてきましたが,事実はそうではありませんでした。それは国家と中間集団とのあいだで行われてきました。近代政治史とは,さまざまな特権をもった中間集団を国家が打ち砕く過程でした。」(90頁)

大雑把に言えば,前近代の中間集団の有する特権が,すなわち自由であった。ところが,近代において自由は,中間集団を破砕する国家のもとにおける個人の自由となる。

「かつては自由とは国家からの都市の,僧院の,そしてまた他の中間集団の自由を意味していました。国家の成長に伴って,近代社会では,自由とは弱化した中間集団からの個人の自由を意味するようになりました。」(91-92頁)

こうした趨勢のもとで現れたのが,一方では個人主義,他方ではナショナリズムである。

「・・ナショナリズム個人主義が提携して,真ん中の共同態主義を挟み撃ちにしてゆく過程が,近代化の重要な一側面であったのです。中世的な中間集団が無力化すると,国家はもはや個人主義の力を借りる必要がなくなります。その時点以降は,かつての提携関係が崩れ,国家はしばしば個人の自由に対する敵対者としての役割を演じるようになります。」(93頁)

近代に生まれた社会学が前提とする二項図式は,このような枠組みを写し取ったものである。
中間団体の「桎梏」を抜け出た個人は,理性あるいは個性にもとづいて自己をうち建てる。摸倣によらず,自己の要求として,国家や社会との関係をとりむすぶ個人,こうした図式がここでは描かれる。
しかしそれは虚構あるいは虚偽である。ジラールによれば,それは,「主体と媒介者との真の関係を照らしだすことのできない知の一形態」(38頁)としての「ロマンチスム」なのである。
近代の個人主義は,このような意味でロマン主義的である。媒介を忘却するとは,自己を自己となしてきたところの他者を忘却することである。それは忘恩ともいえようか。
忘恩の近代的個人主義はいかなる運命をたどるのか。それについて,また明日。