反貧困─余話

中野好夫『スウィフト考』岩波新書,1969年


昨日,湯浅誠氏の著作を紹介した後で,あらためて周囲を見渡すと,関連するニュースや記事があふれていることに気がついた。
アエラ最新刊(08.12.29-09.1.5 No.1)の高村薫氏の連載エセー「平成雑記帳」は,終身雇用と年功序列さらには様々な諸手当によって日本企業が社員の一生を保証してきたこと,この企業の社員丸抱え的システムがかえって現在非正規雇用者を生み出すように作用していることを指摘している。正社員に高いコストがかかるから,メンバーを選別しなければならず,しかし労働力は必要だから,コストをかけずに済む非正規雇用を「活用」することになる。こうした仕組みを変えるには,企業の社員丸抱えコストを抑えて会社をもっと身軽にし,企業が担ってきた社会保障を国が担うようにしてはどうか,と提言する。そのためには,「私たちは少し高い税金を負担して,働き手がいつでも職場を変えられる自由,失業しても最低限の生活が公的に保障される安心を買う」ようなシステムの大転換が必要である,しかしそれを実現するためには私たちの無関心と沈黙こそが課題だとする。
産経新聞京都大学名誉教授の加藤尚武氏は,日本資本主義の父ともいわれる渋沢栄一氏の精神をひいて,必要なのは「金融危機で職を失う人とともに国民として苦しみを分かち合う,そのために贅沢(ぜいたく)をしないで,将来に備えるような生産的な投資をすること」だとする。職を失い,さらには住む場所からも追い払われる人々が多数いるにもかかわらず,そうした人に適切な生活保障もせぬ一方で国民に浪費を勧めるような政策はとるならば,国民をばらばらにしてしまう,と(産経新聞12月26日【正論】京都大学名誉教授・加藤尚武 金融危機に“渋沢精神”を思う)。
同感だ。だけれども,こういう批評とは違ったやり方もあるのではないか,という気もする。直球勝負の言論は,負けたらお仕舞いという潔さがあるような気がする。野球ならば美徳だが,生活では必ずしもそうならない。生きていくには,どんなことをしてでも負けない(変な言い方だが,負けながら勝つというような)したたかさが要ることもある。その点,加藤氏が産経紙上にこうしたことを書くというのがおもしろい。

不真面目と思う人もいるかもしれないが,解決のために何らかの実践が求められるような問題をずっと意識においておくためには,それと少し距離をとっておくことが大切だと思う。そういうことが,別のやり方,つまり,直球だけでなく,変化球や配球の工夫,さらにはキャッチャーのぼやきなど,様々な戦術を生み出していく。言論においては,ユーモアや風刺,皮肉がその例だ。真面目なだけではながく続かないし,かえって転向や反発を招くようなこともある。
そこで,スウィフトである。
ガリバー旅行記』(1726)を執筆していた時期にちょうど重なるのだが,一七二四年にスウィフトは「ドレイピア書簡」という一連の書簡を発表した。国王から特許状をもらったウィリアム・ウッドという鉄商人の悪貨鋳造によるアイルランドの悪性インフレに対する政府糾弾の匿名公開状である。
スウィフトの論点の中心はこれだ。

「「アイルランド人もイングランド人も,ともに生まれながらに自由なのではないでしょうか。・・イングランドでは自由人である私が,六時間かかって海峡を渡ると,たちまち奴隷になりさがるというのでしょうか?」[『ドレイピア書簡』第三書簡からの引用]
・・・
そして,それと関連して執拗に食い下がるのは,この特許の認可に際して,王とそのイングランド政府は,かんじん唯一の被害者であるアイルランド国民を,完全にツンボ桟敷においたばかりか,アイルランドの実情をもっともよく知り,もっともよき助言者たるべき識者たちをさえ完全に疎外していたという点である。」(71頁)

『ドレイピア書簡』によって一躍アイルランド愛国者(実はアイルランド嫌いだったそうだが)として脚光をあびたスウィフトは,その後もアイルランド問題を題材に文章を書き続ける。その一つが,「貧乏人の子沢山を救済し,禍を転じて国家社会の福となすための愚案一つ」(1729)である。

「貧乏人の子沢山の解決などというから,どんな卓説かと思うと,幼児の肉はきわめて美味だというから,よろしくこれを食肉として売り出すがよいとあって,そのあと料理法から味つけの仕方まで,綿々と詳細に紹介している。これなら親のためにも家計の助けになるから,さぞかし出産に励むことであろうし,国の財政負担も助かれば,浮浪児,不良児もいなくなるという三方丸得というわけで,これ以上の社会政策はないはずだというようなことを,眉毛一つ動かさぬ大真面目で説いている・・」(80頁)

そういうば,少子化というのも「問題」とされていた。しかし,働く場所もない国で,多くの子どもを産めというのも,どこかおかしな話だ。
自分の子どもを喰らうようなことをしないための少子化なのかもしれない。