僻地から思考する

鶴見和子「南方曼荼羅—未来のパラダイム転換に向けて」,『鶴見和子曼荼羅IX 内発的発展論によるパラダイム転換』藤原書店,1999年


もう一昨年前のことになるが,文科省に申請する教育研究のプログラム案を考えていたときに,鶴見和子氏の「内発的発展論」に出会った。ただ,そのときは十分に考える時間がもてず,本を揃えるだけに終わった。
今日,取り上げるのは,そのときに買って,ずっと積んでおいたものである。
買ったときには気づかなかったのだが,表紙のそでに,「若き生命に」宛てた小さな文章がある。

ひとりの人間の生命はちりひじのように,かすかでみじかい。ひとりの人間の生涯に,その志は実現し難い。自分より若い生命に,そしてこれから生まれてくる生命に,志を託すよりほかはない。
コレクション<鶴見和子曼荼羅>に,私の生きこし相(すがた)と志とを描いたつもりである。その萃点(すいてん)は,内発的発展である。それは,人間がその生まれた地獄に根ざして,国の中でそして国を越えて,他の人々と,そして人間がその一部である自然と,共にささえあって生きられるような社会を創っていくことを志す。その志を,これまで思い及ばなかった独創的な形相(かたち)と方法(てだて)で展開してほしいと希求する。


  身のうちに死者と生者が共に棲みささやき交す魂ひそめきく

  生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ

鶴見氏は,1918年生まれ。アメリカの大学を経て66年にプリンストン大学より博士号取得。タイトルは,『社会変動と個人:第二次大戦の敗戦前後における日本』である。その後,近代化論の研究を進めるなかで,柳田国男南方熊楠の研究を進め,世界各地の近代化の比較分析を通して,内発的発展論に到達した。1995年12月に脳出血で斃れたが,歌集を出すなど活動を続けた。
鶴見氏の最後の論文が,今日とりあげる「南方曼荼羅—未来のパラダイム転換に向けて」である。これは,1995年9月に行われた国連大学ユネスコ本部との共催シンポジウム「科学と文化」で発表されたものであり,内発的発展を取り扱う本巻が「社会変動のパラダイム転換」であることの意味を明確にするために,冒頭に置かれたという。
それでは,南方熊楠(みなかた・くまぐす)のパラダイム転換への意義とは何か。

「十九世紀科学の焦点は因果律であった。南方もイギリス滞在中にこの考え方を十分に吸収した。そして,南方が挑戦しようとしたのもこの理論である。十九世紀には,因果律とは,第一に「どんな結果にも必ず原因がある」,そして第二に「同じ原因からは必然的に同じ結果が生まれる」ということであると認識されていた。南方が批判したのは,この第二の命題に対してであった。」(12頁)

そこで鶴見氏は南方の次の言葉を引用する。

「今日の科学,因果は分かるが(もしくは分かるべき見込みあるが)縁が分からぬ。この縁を研究するのがわれわれの任なり。しかし,縁は因果と因果の錯雑として生ずるものなれば,諸因果総体の一層上の因果を求むるがわれわれの任なり。」(12頁)

鶴見氏によると,このような思考は,プラグマティズムのパースの思考革命に相当する業績である。パースが暮らしていたニュー・イングランドは当時まだ学術的には周辺であった。

「二人とも世紀の変わり目に現われ,それぞれの僻地から独自の考え方で科学的方法論におけるパラダイム転換を模索した先駆者であった。新風は中心ではなく辺境から吹き起こるといっていいだろう。」(17頁)

興味深いのは,自然・世界の縁を真言宗の世界観である曼荼羅を通して理解し(南方曼荼羅),それを科学的方法のモデルにした南方の,創造性に関する考察である。
鶴見氏はそれを三点から説明する。
1.異文化間の対立(大乗仏教と近代科学)の独自な統合
2.生命の原初形態と考えた粘菌からの洞察
3.夢や無意識の働きの重要視
1.の異文化間の対話ということは,しばしば語られることだが,実際に行うことは難しい。しかし,翻ってみると,日本人というのは,学校教育では近代科学の学習を中心とし,日常生活では(近代科学とは必ずしも両立しない)仏教や神道の習俗がなお強い。自分の置かれた「僻地」の論理を,科学の普遍性と対決させることは,このような思考の訓練になるのではないだろうか。
2.の生命の原初形態については,鶴見氏はふれていないが,ゲーテの自然学を思い起こさせる。ゲーテニュートンを批判したことを思い返すと,自然科学の一面的な(実験室的な)因果関係ではないありのままの自然をみようとする南方の態度は,ゲーテの近代批判の系譜にもつながるのでは,と想像する。
3.の夢や無意識に関して,鶴見氏は,河合隼雄氏からの示唆を受けたとして,ユングとの関連をするのみならず,ガストン・バシュラールの名前にも言及している。
南方の創造性をふりかえってみるだけで,彼の有する思想的な厚みと,それが有する近代の見直しの射程が理解できる。
思想的な厚みがあるというのは,いろいろな事柄の問題系列が集中し重なり合っているということ。
鶴見氏は,南方から借用して,因果系列の鎖の交差を「萃点(すいてん)」というが,問題解決にあたって,この萃点を見つけ出し,そこから関係を解きほぐしていくのが,南方のやり方であったという。
南方を知るということも,萃点にふれるということなのだろう。
鶴見氏の「内発的発展論」もまた,近代という時代における人々の生き方を見直すための萃点であろうと想像する。その議論の紹介はまた明日。