市場と幸福(2)

アルバート・O.ハーシュマン『方法としての自己破壊 <現実的可能性>を求めて』(田中秀夫訳)法政大学出版局,2004年[原著,1995年]


昨日に引き続いて,ハーシュマンの本の第20章「民主的市場社会の柱としての社会的紛争」を紹介する。
本論文の初出は,Political Theory, 22 (May 1994), pp. 203-218. であるが,これは元々1993年にドレスデンで開かれた「ベルゲドルフ討論集会」におけるテーマ「自由な社会はどれほど共同体精神を必要とするか」に対する基調文書として書かれたものである。
昨日の日記の末尾で記したように,市場経済を活用しつつ,それだけでは達成できない人間の幸福の実現にも配慮するには,政治社会のあり方が問われる。そして,政治社会というのは,何らかの共同体精神を必要とする(とふつうは考えられている)。ベルリンの壁崩壊後,西と東の統合という課題に直面していたドイツにとって,共同体精神の問題が大きく意識されたこと想像に難くない。
ハーシュマンはまずは議論の趨勢を振り返る。ドイツでは,「国家社会主義(ナチズム)」の悪夢から共同体精神に対する批判が根強く,共同体精神は市民的な憲法制度に基礎をおく愛国心として,つまり憲法愛国心としてのみ存在が認められた(ユルゲン・ハーバーマス)。しかし,ベルリンの壁崩壊と共に,文化的・道徳的な領域に関わる諸問題が噴出すると,問題の原因は(西と東の間の)「共同体精神の不足」にされた。もはや憲法愛国心だけでは問題は解決しないと考えられたのである。
そこでドイツで活発に論じられることになったのが,北米のコミュニタリアニズムであった。

「これはアメリカのコミュニタリアンが勝利してドイツに入ったということではない。新しい環境のもとで,憲法愛国心はもはや十分ではない,急に再統合された国の市民の間に今必要な紐帯と相互義務の概念として憲法愛国心は余りにも小さすぎる,という感情が生まれたのである。こうしてアメリカのコミュニタリアンの声に多大の関心がもたれることになったのである。しかし,同時に,またすでに述べた強固な歴史的理由から,再統合されたドイツをベラー流の「市民宗教」のようなもので支えさせることに対する抵抗も,依然として相当に大きいものであった。」(274-275頁)

「市民宗教」とは,宗教と政治との間で生じる緊張関係を処理するための,特にアメリカ的なシンボルと実践の手法を言う。(たとえば,国旗(国家シンボルの典型)掲揚の際に胸に手を当てて国歌を歌う(実践の典型)等がそれに相当する。)このような国家象徴を使用する国家統合に対して,ドイツではナチズムの記憶から,抵抗がなお強かったというわけである。
憲法愛国心では足りないが,市民宗教は行き過ぎだとすれば,ではどうすればよいのか?ハーシュマンは,コミュニタリアンの議論を批判するフランクフルト研究所のドゥビエルが唱える「共同体精神の必要性に関する新しい最小限説」(276頁)を取り上げて議論を進める。
ドゥビエルの主張は次のようなものである。

「ドゥビエルは,一般に受け入れられた実体的な倫理的価値ないし基準に基礎をおく「よき生活」についてのいかなる種類の合意であれ,その合意をつくりだすことは望ましくもなければ可能でもないと・・する。しかし,彼は憲法愛国心を越えた程度の社会的統合の必要性は認め肯定している。」(276頁)

憲法愛国心を越えた程度の社会的統合をもたらすが,しかし実体的な価値にはよらない,最小限の「共同体精神」をもたらす媒体として,ドゥビエルは「紛争」に期待する。

「概して,確かに,紛争は,危険で,腐食的で,潜在的に社会秩序を破壊する,したがってまさに共同体精神を補給する備えによって堪えられ,解決される必要があると見られてきた。しかし,ドゥビエルは社会的紛争自体が現代の民主主義社会を結びつけ,その社会に必要な力と一体性をそれに与える貴重な紐帯を生み出すと論じる。」(276頁)

紛争を通じて統合が生み出されるというこの議論は逆説的でわかりにくいかもしれない。
身近な例で言えば,「年越し派遣村」というのは,日本では珍しくも,紛争の目に見える事例であったと言えよう。(目に見えない潜在的な紛争はまだまだあるのだろうが。)しかし,あの報道を見守ることを通じて,派遣の問題について共通の問題意識が醸成されたのではないだろうか。紛争を通じた統合の事例だと思う。
ただし,すべての紛争がこのような統合のために機能するわけではない。ハーシュマンによれば,紛争は社会の「膠(にかわ)」になることもあれば,社会的紐帯を溶かす「溶剤」ともなりうる。この民主的市場社会において紛争が統合につながるとすれば,そこでは実際に何が起こっているのか,どのような歴史的経験からそれが可能になったのか,を観察することが重要なのである。
紛争が社会の「膠」となるのは,紛争が調整可能な場合(「多いか-少ないか型」)である。これに対して,社会を溶かす「溶剤」となるのは,紛争が調整不可能(困難)な場合(「あれか-これか型」)である。前者は,経済的な分配をめぐる紛争など,後者は,倫理的・文化的なアイデンティティに関わる紛争などが例に挙げられる。そして,西洋社会は,調整可能な紛争解決の歴史的経験の積み重ねを通して,紛争を通した統合を可能としてきた社会なのである。ドゥビエルの議論はこの西洋社会を前提としている(284頁)。
近年のイスラムを巡る問題など,西洋の紛争処理の経験を超える課題もたしかにある。しかしハーシュマンは,このような新しい課題も決して解決不可能な紛争とはみない。

「西側での紛争管理に関するより最近の経験に特徴的な,妥協的解決を取引し探求する長期の実践は,新しい紛争を「保護する」というわたしたちの能力にとって,否定的な結果だけをもたらしたのではない。一見したところでは恐ろしく,和解できないと思われても,それらの紛争は,例えば,取引と実験の技術でよく訓練された精神で接近するとき,容易に手出しできる交渉可能な部分ないし側面を持っているとできよう。」(290頁)

歴史はハーシュマンの言うようにはまだ進んではいない。とりわけ9.11以降,紛争は交渉によって調停されるのではなく,戦争によってますます深く分断されるようになってしまった。パレスティナ紛争が示すように,対立は,「共同体精神」の宣揚を通じて,決して妥協におさまろうとはしない。「共同体精神」は役に立たないのだ。

「ある社会がその途上で出会う新しい問題に関して進歩を遂げるために実際に必要なのは,政治的起業家精神,想像力,ここでの我慢,むこうでの短気,および他のさまざまなヴィルトゥ(徳,勇気)とフォルトゥナ(運)である。わたしは共同体精神への訴えによってこうしたすべてをいっしょくたにすることに重要性を認めることはできない(またある種の危険を認める。」(291頁)

ただし,政治的起業家精神や想像力は,問題解決のために必要条件ではあろうが,特効薬ではない。ハーシュマンの議論がややわかりにくいのは,彼が決して一般的な解を述べないからである。ハーシュマンによれば,

「一般的な有効性のある解決をさがすことは不毛だろう・・・歴史的経験は時折はヒントや発見をもたらしてくれる。しかしそうしたヒントや発見は社会が違えば違うし,同じ社会でも時代が異なれば異なる。ある時点における所与の集団にとってさえ,理想的な解決策はしばしば不愉快なほど災害と滅亡に近接しているという場合があるが,そのような難問の一つをわたしたちは扱っているのである。」(6頁)

わたしたちの生の多面性が志向する幸福の多様性を可能な限り広げるには,歴史や社会,市場や国家の相違に応じた,自前の思考力をいかに磨くかが問われている。そして,この思考力は,一般的な原理を適用する能力というよりは,具体的な必要性=困窮に立ち向かう,ヴィルトゥや想像力を伴うものであるだろう。