終末のシンボル的意義

武田泰淳『滅亡について 他三十篇』川西政明編,岩波文庫,1992年


大学は今,春休み。
理系の世界ではこの時期,学会が多いと聞いたことがある。文系の私の関わっている学会でも3月末に支部会が開かれる。そうしたものに関わっている大学の教員(当然だが,大学の教員は研究者でもある)は,研究発表の準備に追われる。そうしたものがなくても,4月からはじまる新学期の授業の準備をしたり,研究の遅れを取り戻すために時間を使う。
ところで,授業の準備に何故そんなに時間がかかるの? と不思議がられることがある。
中学や高校ならば,何をどの程度学ぶべきかが学習指導要領によって指示されているし,教科書も用意されている。大学でも,何を学ぶべきか比較的はっきりしているカリキュラムが組まれている場合は,状況はこれに近い。専門領域が比較的はっきりしている学部・学科の専門課程では,こうしたことが多いと思う。
ところが,私が学部生を相手に担当する全学教育課程(いわゆる「教養課程」)では,そうしたカリキュラム上の要請は小さい。もちろんカリキュラムの目的は明確に設定されているのだが,具体的にどのような素材をどの程度まで扱うかは,教員の裁量である。
特定の学部生に対する講義ならば,高年次のための基礎教育を行えばよいだろう。それならば,何を教えるべきかは,比較的はっきりする。しかし,全学部の学生を相手にする講義では,そういうわけにはいかない,と思っている。特に理系の学生は,私が講義で話すような分野の話を聴くのはこれきりとなるかもしれない。そういう学生に何を講義すべきなのだろうか,と考えるのである。
毎年この時期は,そのことを考えながら授業の構想を錬っている。もちろん,大学の授業は研究をもとにしなければできないので,研究の構想とも関連づけなければならない。うまく進まないのが常なのだが・・・。


ところで,前回(3月3日)もふれたように,人はシンボル的な意味を生きる。
たとえば,大学で学ぶという場合。大学の教師の講義を聴き,研究室で実験し,ゼミで発表するということには,その行為(椅子に座って話を聴き,ノートをとり,理解できたり,わからなかったり…)と共に,それと分けることのできない,その行為を意味づけたり・その行為へと動機づけるシンボル的意味(「この講義を取ると単位が楽に取れてバイトに時間がまわせる」「このゼミでは面白い話が聞けて自分の将来を考えることができる」「この先生のゼミにいると就職に有利だ」等々)が備わっている。
だから,行為がそのなかで行われる物理的世界が同じであっても,各人において生きられる世界は異なる。
このように「生きられる世界」を成り立たせるシンボル的意味が可能になるのは,「脳の進化」(3月2日を参照)によるのだろう。ただし,脳の機能をいくら究明しても,各人において生きられる世界の究明までは,できないだろうと思う。
たとえば,脳の状態から当人が快楽を感じているということはわかっても,どのような媒体に快楽を感じているのか(たとえば,仏様を観じて安心を覚えるのか,聖母マリアに祈って平安を感じるのか)ということは,脳そのものからは説明できないと思う。
歴史や文化の世界というのは,仏やマリアに代表されるようなシンボル的意味を中核的な内容として成り立っている。歴史や文化の世界を取り扱う学問の独自性はここにある。

しかし,だからといって世界の物的連関を無視してよいということにはならない。
たとえば,揺らぐことなくそびえ立つ寺院が,地震によって倒壊したとき。シンボル的なものは,その寺院という建物そのものとは別個のはずであり,したがって建物が倒壊しても,シンボル的なものそれ自体が崩れるわけではない。しかし,倒壊した建物がもつシンボル的な意味(たとえば,「末法」「終末」「神の怒り」等々)というのもあるだろう。そして,そのようにして生じたシンボル的意味は,寺院によって象徴されていたシンボル的意味を変容させるかもしれない。
これは昨日,とある映画監督と会話をするなかで,教えられつつ,考えたことだ。そのひとは,日本近代において関東大震災が有した思想的意義の大きさを強調されていた。
話をするなかで,東京大空襲や広島・長崎の原爆が日本人の思想に与えた影響の根源は,実際に物的世界が徹底的に破壊され,物的世界の相貌が全く変わってしまったということにあるのではないか,と思った。
武田泰淳の評論が思い浮かんだ。

「敗戦は,日本国民の大部分にとって,「もうこうなっては」という決定的な事実だった。軍事力において破れたばかりでなく,戦争中の生きがい,緊張,倫理のよりどころを全く失った。すなわち「精神の戦場」においても敗北したのである。……「アジアの指導者」から,一人間にひきもどされた。そしてはじめて,地球上で自由な権利を主張できるのは,日本人ばかりでないことを骨身にしみるまで,知らされたのである。それは,あらためて自分を発見し他人を発見することによって,傲慢な孤立から,ゆったりした平等観に移行できる絶好のチャンスであったはずだ。その意味では,敗戦の経験は,たんに政治的,経済的なものばかりでなく,むしろ宗教的なものだったはずなのである。」(「限界状況における人間」1958年,60頁)

「もうこうなっては」という認識は,物と切り離されたシンボル的な意味によるのではなく,物の徹底的な壊滅の有するシンボル的意味である。
このように,世界のシンボル的構築は物と切り離すことはできない。他方,物の認識もシンボル的構築から切り離すことはできない。このつながりは,普段はあまり感じることはできないが,物の徹底的な破壊に際会すると,そのつながりを感じさせられるだろう。宗教というシンボル的世界構築において,世界の「終末」が語られる意味は,ここにあるのではないだろうか。

「…敗戦後の上海西部で,勝利に酔っている他民族の男女にとりまかれ,たったひとりでとじこもっていた日々には,『バイブル』の一字一句が,実によく自分のこととして理解されたものだった。……
その第一は「黙示録」の予言。あの予言には,七人の天使の吹き鳴らす七つのラッパの音につれて,次々に「悪しき民」の頭上に落下してくる災厄がのべられている。日本列島の町々を焼きはらった爆撃より,もっと徹底的な,もっとすさまじい,もっとしつような大破壊,大破滅のありさまがことこまかに描かれている。エホバの下す罰なるものを,この私が信じられないにしても,大破滅,大破壊の降下は自分たちの眼前の事実として,疑うことができない。今日のごとき日本の復興ぶりを夢にも予想できなかったあのころ,私はまず「黙示録」が,はるか昔に描写しておいてくれた滅亡の姿を,何回もくりかえし味わっては,自分の現在立っている位置・地点をたしかめようとしていた。」(「限界状況における人間」,63頁)

実は,前回あつかったケネス・バークを続けて扱う予定だったのだが,関東大震災にかかわる会話から,武田泰淳の評論集を思い出した。
そして,これを書いているうちに思い浮かんだことは,「もうこうなっては」という認識を,私たちは結局のところ,物理的な世界の徹底的な破壊によってしか得心できないのかもしれない,ということだ。

「滅亡の真の意味は,それが全的滅亡であることにある。それは黙示録に示された如き,硫黄と火と煙と毒獣毒蛇による徹底的滅亡を本質とする。その大きな滅亡にくらべて現実の滅亡が小規模であること,そのことだけが被滅亡者のなぐさめなのである。日本の国土にアトム弾がただ二発だけしか落とされなかったこと,そのために生き残っていること,それが日本人の出発の条件なのである。もし数十発であったとすれば,詠嘆も後悔も,民主化も不必要な,無言の土灰だけが残ったであろう。…」(「滅亡について」1948年,24-25頁)

シンボル的に構築された世界とは,決して固定したものではないが,はっきりとした力が作用しないかぎり止むことのない,意外に強い慣性をもっている。それは,私たちの生きる世界を支える一方で,しばしば必要な改革を阻み,時には滅亡にまで突き進む惰性となる。
「終末」が救いとなるのは,その予告のなかで人間を「回心」せしめることによって,滅亡を小規模とすることによるのかもしれない。きわめて世俗的な解釈だが。