社会の医者

竹内好「インテリ論」1951年,「教養主義について」1949年,『竹内好全集第6巻』筑摩書房,1980年
加藤周一,ノーマ・フィールド,徐京植『教養の再生のために 危機の時代の想像力』影書房,2005年


携わっていた長期の仕事に,ようやく先週,区切りをつけることができた。長く関わってきた仕事を無事終えることができて,ほっとするとともに,そこでの同僚達との別れに,淋しい気持ちも感じるという,不思議な思いのなかにある。

さて,前回(3月8日),大学教員が春休みに何をしているのかについて少しふれた。
私自身はといえば,論文の原稿を仕上げること(まだ全く手をつけることができていないのだが)と,授業の準備,そして,積ん読状態の書物の読書に時間を使っている。
そういう仕事をしているなかで,常に関心の根底で考えていることは,こうした自分の仕事の意味はなにかということである。
かつて竹内好は「インテリ論」(1951年)で次のように述べたことがある。

「私は,ノーマン氏の[安藤昌益]解釈はまったく正しいと思う。直接の生産に役立たないインテリが自己を正当化しうるのは,かれが「社会の医者」である場合に限られるという,ノーマン氏の解釈によって明らかにされた安藤昌益の生き方こそ,そのまま今日に移してインテリ論の締めくくりにすることができる。」(「インテリ論」1951年,『竹内好全集第6巻』,105頁)

インテリという言葉は,今や死語かもしれない。「大学の教員」という言葉自体が,インテリならざる大学知識人の現況を物語っているように思う。
しかし,そうは言っても,「大学教員」としての分業的役割をこなしていればそれだけでよいと思っている大学教員の数は,決して多くはないだろう。また社会も大学に対して,そうしたことだけを期待してはいないだろう。
しかし,では何をすれば大学教員としての務めを果たしたということになるのだろうか。
竹内の言う「社会の医者」としての知識人の役割を考え直さなければならないのだと思う。そして,それを考える際の基準は,何処までも社会の側にある。ただし難しいのは,その場合の社会とはなにかである。

「民衆と隔絶されている日本のインテリは,それ自体が畸型化されたものになる。この畸型化は,個人としても,全体としても,統一の欠如としてあらわれる。インテリはインテリとしてみても分裂している。個人における分裂は,かれの知的活動が,現実とのかかわりなしに,生活と無関係に進行するということだ。だから思想が育たない。実地の検証を経ない,借り物の外来思想を,流行に応じて身にまとうのが日本のインテリだ。」(「インテリ論」,前掲書,93-94頁)

今さら取り上げる必要もないほど一般によく語られてきた,日本の「インテリ」,あるいは知識人の特質である。ただ,素朴に「民衆」と言うことができた時代と,それが見えにくい時代との違いもまた大きいと感じる。
今や「民衆」という言葉はあまり語られなくなった。そのかわりに,例えば「ステークホルダー」という言葉が使われるようになった。このような用語は,大学人が社会を考えるためには,たしかに必要な言葉なのだと思う。
しかし実際には,象牙の塔の安定を失った(あるいは,その安定の仮象に気づいた)大学教員は,「ステークホルダー」の役に立とうとして,社会に迎合しかねない不安を感じている。
社会の医者であることと,社会に迎合することとは,決して同じではないはずだ。むしろ,迎合を拒否するところにこそ,医者としての矜持が保たれる,とも言えよう。
しかし,その拒否や矜持が意味をもつのは,そのような役割が社会に認知されている限りにおいてであろう。それがないところでは,迎合の拒否は単なる頑迷でしかなく,場合によっては既得権益(こういうと大きな権益がありそうですが,そんなものはありません)にしがみつく態度でしかないとみなされるだろう。
社会は,その社会にふさわしい医者をもつ,ということなのだと思う。現代において社会の医者であるためには,迎合の技術も身に付けなければならない,ということなのだろう。
しかしそれは,やりようによっては,迎合というものとは違うものになるかもしれない。それが,自分の大切だと思う研究の内容を,「実地の検証」にかけられるような形に整えることを意味するのであるならば,それを通して,自分の研究の方向性を修正したり高度化したりすることができるようになるのかもしれない。
もっとも,人文社会系の学問の内容を「実地の検証」に付すというのは,なかなかに難しい。先頃亡くなった加藤周一が,教養に関して述べているように,それがなくなったときのことを想像することで,その大切さが何とかイメージできる,というのが,多くの人文社会系の学問の特質だと感じる。

「では教養が衰えてくると,どういう結果が生じるでしょうか。
テクノロジーは発達しますから,たとえば性能のいい自動車がつくられる。運転はだんだん簡単になってくるでしょう。しかし休みに自動車を運転してどこへ遊びに行こうかというときに,どこへ行くかを決めるのは誰のどういう仕事でしょうか。それは効率的な自動車をつくるテクノロジーからは出てきません。・・・
もし運転する人に目的の選択能力がないと,結局は観光旅行会社が決めることになるでしょう。観光旅行会社がつくった目的,プログラムに従って,性能のいい自動車を運転する。これは芭蕉の『奥の細道』と違う。・・・」(『教養の再生のために』,38頁)

「教養の再生はなぜ必要なのか。それは,社会にとっても,個人にとっても,究極の目的は何か,が大事だからです。どういう価値を優先するか,その根拠はなぜかということを考えるために必要なのが教養です。」(前掲書,40頁)

その通りだと思う。ただし,引用した文章から,テクノロジーとそれが実現する目的や価値とを簡単に分けられるものと考えるとすれば,それは安易にすぎるだろうが。
ところで,先に引用した竹内好は,加藤周一について次のように述べたことがある。

「加藤については,私は別に小さな雑誌に書いたことがあるので,その要点を再録することにする。
加藤周一を,私は,フランス文学研究者のなかで,というより,一般外国文学の研究者のなかで,いちばん,尊敬している。・・・私が尊敬するのは,知識の量からではない。知識の量なら,いくらでも上がある。そうではなくて,方法の新しさ,というよりも,その新しさを支えている自覚的態度,ということであって,その点で,私は教えられるところがある。では,どこが新しいか,というと,かれは外国文学を研究するには,自分がそのものになるところまで行かねばならぬと考えており,しかも,それを,日本文学の伝統だといいきっているところである。こういう自覚的態度は,私の考えでは,日本の歴史にかつてなかった。・・・」
・・・・・・
「・・・これ[加藤の文学研究]は,おそらく,外国文学研究における,今日,もっとも先鋭な,方法論であって,したがって,それは,日本文化の最高水準を示すものであるが,このような高い知性は,まったく,秀才的思考方法の産物,私のコトバでいいかえるならば,ドレイ根性の産物(私の『中国の近代と日本の近代』を参照)であることを疑うことはできない。かつ,当然に,それは,日本文化の伝統に,深く,根ざしている。・・・」(『思潮』1949年五月号「ある挑戦」)」(「教養主義について」1949年,『竹内好全集第6巻』,199頁)

今の私にとって,自分の仕事の意味を考えることは,加藤の正答と竹内の反省の間を行き交う営みとなっている。