日本人の宗教性

山折哲雄『近代日本人の宗教意識』岩波書店、1996年


「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」
これは、荒野において四十日四十夜断食し、悪魔に試みられたイエスのことばとして、よく知られている(新約聖書マタイによる福音書4章)。
ところで、イエスのこの言葉は、旧約聖書申命記8章に由る、という。
出エジプトを果たしながら、偶像崇拝の不信仰の故に四十年の荒れ野のさすらいを強いられたイスラエルの民に対して、神はモーセの口を通して次のように宣言する。
「汝おぼゆべし 汝の神エホバこの四十年の間汝をして曠野の路に歩ましめ給えり 是汝をこころみ 汝の心の如何なるか汝がその戒めを守るや否やを知らんためなりき 即ち汝を苦しめ汝を飢えしめまた汝も知らず汝の先祖等も知らざるところのマナを汝らに食はせ給えり 是人はパンのみにて生くる者にあらず 人はエホバの口より出づる言によりて生くる者なりと汝に知らしめんが為なり」(申命記8章。読みやすくするため、表記を改めている)
「エホバの口より出づる言」を、私は、特定の宗教伝統に限定することなく、できるだけ広い意味でとりたい。
パンとは違った意味において人を生かす言葉なるものは、過去の一筋の記憶であったり、あるいは別世界のファンタジーであったりする。
パンに満たされていても、この言葉がなければ、世界は生きにくい。逆に、パンが欠乏するなかでも人間は、この言葉によって、生きることができるのである。これは、象徴的な意味でだけ言っているのではなく、実際的な意味でも言える。
精確なところは忘れたが、エリアーデが次のような話を引用していたのを読んだことがある。かなりの数の死者を出していたシベリアの収容所の中で、とある一棟だけ死者が出なかった。そこでは、老婆が毎晩おとぎ話を話していたのだという。物語る老婆の為に、その棟の人はそれぞれの食物を分けて、老婆に食べさせていた。パンが老婆を生かし、おとぎ話がその棟にいた人々を生かしていた・・・。
おとぎ話を聴くことで、何故生き続けることができたのか。そのつながりの厳密な因果性を論証することは難しいかもしれない。しかし、「人はエホバの口より出づる言によりて生くる者なり」という言葉が古来語られ続けてきたということ自体が、人間の生における神の言葉としての物語の必要性を証ししているのではないだろうか。

さて、近代の日本人はどのような神の言葉あるいは物語を食してきたのだろうか。冒頭に挙げた山折哲雄氏の著作から、そんな関心につながる言葉を拾っておきたい。
(以下はすべて、第一部第一章「日本人の宗教性─子規と兆民と漱石」から。)

「苦痛がけっして減じていかないことに腹を立て、愁訴をくり返し、文句をいいつづけているうちに、究極のところ、自分と自分の周囲と調和できないという困難に逢着してしまう。・・・そこで居直ってしまえば自暴自棄に陥るだろうし、そこを越えれば釈迦の「涅槃」やキリストの「救い」にたどりついて泰然自若の境地に到達することができるかもしれない。だが結局は、子規はそのいずれの方策もとろうとはしなかった。もがいた先に、どこに行こうとしたのか。それはたとえば、つぎのような世界であった。

余は今まで禅宗のいはゆる悟りという事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。因みに問ふ。狗子に仏性ありや。曰、苦。祖師西来の意は奈何。曰、苦。また問ふ。・・・・曰、苦。

苦痛のなかで平気で生きていること、生きているほかはないこと、─それが子規の脳髄に去来した唯一の確かな答えであった。」(28-29頁)

狗子仏性、祖師西来意、は代表的な禅の公案である。その問いのなかで子規は、何か調和的な世界を見いだしたというのではなく、むしろ調和などありえぬ苦痛の世界を自覚したのではないか、と著者は言う。
苦痛から逃れられない時、人はどうするか。そこでは、死さえも安楽とみなされる。思うようにならぬこの世の苦しみから逃れるために、死が選びとられることも多々ある。
しかし子規は「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」と語った。子規は、どんな「おとぎ話」─収容所で死を待つほかない人を生かした─を聴いていたのだろう。

「ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや。

子規の痛みは病床から発している。その痛みの中心から机の上の金魚が眺められている。」(31頁)

著者は、ここに子規の「おとぎ話」(この言葉を著者は使わないが)を読み解く鍵があると見る。そして、その物語を、子規の伝える夢(兔が、苦しんでいる動物に手を差し出して、その苦痛を取り去って安楽死させてしまう)の解釈を通して、次のようなものではなかったかと推測する。

「たしかに不思議な夢である。兔が出てきて、死に近く苦しんでいるものを、つぎつぎに安楽死させてしまう。かれらを苦痛から解放させる可愛い死の看とり手である。─病床から眺めている人形が笑顔をみせて枕元を歩き回る。机の上の金魚が美しい尾をひらひらさせて語りかけている。そういう光景があらわれたり消えたりしながら、病床六尺の不確かな空間を取り巻いている。苦痛のなかで呻吟する病人を押しつつんで、輪を広げたり縮めたりしている。そこに兔が飛びこんできた。にぎわいをみせる情景にエンドマークを告げるように、あるいは華やかな運動会に幕を引くためであるかのように、姿をあらわした。・・・
このとき、病床に横たわる子規は仏に逢ったのではないだろう。むろん耶蘇に逢ったのでもない。あえていえば、かれの病床を取り巻く自然に出逢ったのではないだろうか。」(32-33頁)

近代の日本人に、苦痛の中でもなお生き続けることを可能とさせる「おとぎ話」の筋の中心を、こうして著者は「自然」に求めるのである。

「子規の末期の眼には、自己と自然が相互に入れ替り相互に浸透する関係が映し出されていた。それは何よりも生の痛苦を救済するイメージとして、かれの病床六尺の天地を押しつつんでいたのだと思う。・・・」(33頁)

夏目漱石にふれた部分も紹介しておこう。

「人間と人間の関係はあくまで人間と人間の関係において解決するほかはない、と考えるところに、いわゆる三角関係の基本的な構造が横たわっている。ドストエフスキーにかぎらず、一般の西欧の人間観の基底にはそういう信念が伝統的にあったと思う。これにたいして漱石は、人間と人間の葛藤は人間と人間の関係のなかだけでは解決しえないだろうという予測をもっていたのではないだろうか。・・・
漱石の言う「自己」は三角関係のなかを生きていく自己ではないだろう。それはあえていえば、三角関係の網の目をつきくずし、対関係の緊張感をすら解消していくような類いの「自己」であった。・・・
三角関係と対関係の地平から最終的に離陸したとき、かれの念頭に蘇ってきたパラダイス・イメージが「則天去私」だったのではないだろうか。それは人間と人間の関係を犠牲にすることでえられる、至福にみちたクライマックスであったと思う。そしてその点において、漱石は子規とともに同血の兄弟であった。かれがその最晩年にたどりつこうとした世界は、さきにのべた子規の病床六尺の世界とほとんど境を接するほどに近似していたと思うのである。」(54頁)

日本人にとって自然がパラダイス・イメージとなっているということは、よく語られることだが、こうした議論のくり返しに意味がないわけではない。
物語る行為において大切なのは、独創性ではなく、時代時代に相応しく語り直されるということである。著者の子規や漱石の再解釈は、そのような語り直しとして理解できる。それは、物語と学術研究のいわば境界領域にある営みであるように思われる。
世間にはこうした形態をとらない物語り方もある。例えば、ひところブームになった五木寛之氏の『大河の一滴』は、作家の手による「自然の物語」ともいえよう。こうしたものを、苦痛を生み出す世界そのものを受容させる、(やや古い言葉かもしれないが)体制的なイデオロギーと見るのは、それはそれであたっているかもしれないが、しかしそんな決めつけ方をしても、問題は残る。
近代日本を代表する知識人の救済イメージである「自然」は、例えば竹内好の言う、革命を非日常的なものとする日本人の感性と深いところで通じているのかもしれない。あるいは丸山眞男が「古層」として発掘しようとしたものとも関わりをもつかもしれない。(二人にとってそれは批判的に対応すべきものであったが。)
これらを超歴史的なものとして実体視することは、学問的にはきわめて危ういことだと思う。しかし、それが実践的に、つまり苦痛の中を生き抜くために必要とされてきたということも否定できないように思われる。
実践的に大切なことは、そうした基底的な救済イメージの意味を再解釈し、そして語り直すこと。そして学問に求められるのは、そのイメージの作用連関を見極めること。いずれも、生きていくために欠かすことのできない仕事ではないかと思う。