偶像について(1)

和辻哲郎「『偶像再興』序言」、『偶像再興/面とペルソナ 和辻哲郎感想集』講談社文芸文庫、2007年


なかなか更新できない日々が続いています。

いろいろと考えた末、本ブログの基本コンセプトを維持しながら、もっと簡略に、そしてもっと本の選択の幅を広げて、本日記を継続しようと思います。

このブログの基本コンセプトは、2008年8月20日に以下のように記載されています。

「このsonnenblumenの日記は,個人的な教育研究情報をアップするウェッブサイトで行っていた本の紹介を,ブログ形式で継続することにしたものです。
ちなみに,そのウェッブサイトには次のような文章を載せております。「ウィークデイに読んだ本の中から、印象的な文章を抜き書きします。学生諸君に本を選ぶ参考にしてもらえたら幸いです。何か気にかかる断片と出会えることができたら、自分の思考を深めるきっかけになるでしょう。」」

「抜き書き」だけではいろいろと問題もあるようなので、その抜き書きに対する解説や、それらに関して私自身の思うところのいくばくかも書きこみますが、後者はあまり参考にしないでください。


冒頭に表題を掲げた和辻の文章は、1918(大正7)年に岩波書店より刊行された『偶像再興』の「序言」。印象的な冒頭の文章を引用する。

「偶像破壊が生活の進展に欠くべからざるものであることは今さら繰り返すまでもない。生命の流動はただこの道によってのみ保持せらる。我らが無意識の内に不断に築きつつある偶像は、注意深い努力によって、また不断に破壊せられねばならぬ。
しかし偶像は何の意味もなく造られるのではない。それは生命の流動に統一ある力強さを与えるべく、また生命の発育を健やかな放漫と美とに導くべく、生活にとって欠くべからざる任務を有する。これなくしては人は意識の混沌と欲求の分裂との間に萎縮しおわらなくてはならぬ。人が何らかの積極的の生を営み得るためには「虚無」さえも偶像であり得る。」(206頁)

講談社文芸文庫版「和辻哲郎感想集」は、日本近代文学を専門とする中島国彦氏が編集しているが、その解説の冒頭に取り上げているのが、『偶像再興』の記憶である。高等学校三年の現代文の授業で、わら半紙にガリ版印刷された「序言」を読んだのだという(273頁)。編者の年齢からするとそれは1960年代前半のこと。
そして、ついこの間これを読んだ私にとっても、この文章はとても印象的だった。

偶像破壊は、善や正義を高く掲げる。しかし、そんな善や正義に向かい続けると、自分のなかの悪を抑圧することになるせいだろうか、心が疲れてしまうことがある。そして、この自らの悪を、悪のままに掬い取る何かを欲するようになる。
これは私の反省。和辻は別個に偶像崇拝を求める心理を語っている。それについては、次回とりあげる。

なお、『偶像再興』は和辻20代末期の文章からなり、現在は『和辻哲郎全集』第十七巻に収録されている。この若き日の文章を、後に和辻は「燃やしてしまった方がよろしい」と語っていたという。