希望を捨てる勇気
問題に向き合うということが、最も困難な問題だ、と思う。
問題に置かれた人が少ない、などということではない。
多くの人間が問題に直面し、にっちもさっちもいかなる状況に置かれている。にも関わらず、それを問題として捉まえるということは困難だ。
冒頭に掲げたのは、ブロガーとして有名な池田信夫氏の著作。表紙の折り返しにある著者プロフィールによれば、池田氏は1953年生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHKに入社したが、1993年にそこをやめた。
「・・自民党で最高権力の座を目前にしながら党を割って出た小沢一郎氏の行動に感銘を受け、リスクを取らなければ何も変わらないと思った私は、細川政権が成立した直後にNHKをやめた。」(1頁)
その後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は上武大学大学院経営管理研究科教授。「池田信夫blog」で意欲的に情報発信をしている。
本書は、「リスク」を取ることなく現状に安住する日本人に対する警世の書である。
ここには、問題があるにも関わらず問題と向き合わない人間の姿がくり返し出て来る。
例えば、若者の雇用問題について。
「・・賃金コストを抑制したい経営者と、要員削減の「外堀」を深くしたい労働組合の利害が一致した結果、無保護・無権利のフリーターが大量に生み出された・・いいかえれば現在の雇用規制は、経営者と労働組合の既得権を守るために非正規労働者を身分差別する制度だといえよう。その被害者である非正社員は企業の意志決定に関与できないから、この「新しい身分社会」が定着し、そのまま高齢化するおそれが強い。
これは結果としての「格差」というより、非正社員を労働市場から意図的に排除する「差別」である。その責任は第一義的には家父長的な労働行政と労使の結託にあるが、目先の温情主義で正社員だけを保護し、非正社員を差別してきた司法の責任も重い。」(18-19頁)
経営者、労働組合、労働行政、司法、それぞれがそれぞれの「問題」解決に取り組むなかで、かえって大きな問題が生み出されてしまう。
しかし、こんなに大きな問題でも、自分のものの見方のフレームから外れた問題は容易に認識されないし、また仮に認識されたとしても、解決のためのアクションがただちに起こるわけではない。
例えば、先頃行われた事業仕分けで、仕分け人に対して「歴史の法廷に立つ覚悟あるのか」という発言があった。そのせいもあってか、スパコン予算は復活したようだが、当該事業に対して、著者は次のように述べる。
「要するに、これはスパコンの名を借りた公共事業であり、世界市場で敗退したITゼネコンが税金を食い物にして生き延びるためのプロジェクトなのだ。米政府がスパコンを国家プロジェクトでつくるのは、軍事用だから当然である。しかし京速計算機で目的としてあげられているような一般的な科学技術計算に国費を投じる意味はない。むしろ東工大のTSUBAME(わずか20億円で、性能は地球シミュレータを上回った)のように、各研究機関がその目的に合わせて中規模の並列計算機を借りればよいのである。」(193頁)
しかしそれでは、この分野での発展が将来ありえないということになるのではないか、という心配の声も出て来るだろう。
著者の言い分は、将来の発展の方向性としてそもそも間違っているのだから、そういうものにお金を出すことは無駄でしかないということだ。
しかし、その(著者からみれば)「無駄なもの」が仕分けによってもなお生き残る。もちろん、それは箱物公共事業というだけでない「科学技術」というお墨付きによってだが、問題は、そこに真の問題に向き合わない構造があるということだ。
経産省の「情報大航海プロジェクト」に関して、著書は次のように述べる。
「・・大航海プロジェクトのように与えられた目的[グーグルを越える検索エンジンの開発]に向かって企業を育てるという発想だと、みんなの力を総動員してグーグルに対抗しようという話になる。プロジェクトが失敗することは許されず、そのリスクも想定されていない。全員が無限責任を負っている結果、誰も失敗の責任は問わない。通産省のやった「大型プロジェクト」の大部分は失敗だったが、その事後評価さえほとんどされていない。」(196頁)
かつて丸山眞男が分析した日本軍国主義の姿と重なるところが興味深いし、またその問題の深さを感じさせる。
だからこそ、本書の扱う問題は、経済を超えて、政治に向かう。
「戦後の日本は、高い成長が持続し、競争力の高い製造業が創造した富を再分配することが政治の役割だった。官僚機構の権力の源泉も、この再分配の裁量にあった。しかしこの構造は90年代以降、決定的にかわった。・・この状況で昔ながらの「分配の政治」を続けると、将来世代から現在世代への所得移転を行なう結果になる。日本の若者の閉塞感の原因になっているのは、このように高度成長の果実を食い逃げしようとする団塊世代への不信感だろう。」(242頁)
問題を直視できれば、解決の方策もみえてくる。
「長期停滞の根源には、本書で見たきたような・・将来への不安がある。これを払拭するには、すべての人にチャンスがあり、努力すれば報われるという希望を取り戻し、活気のある社会にしなければならない。
そのためには巨額の財政支出は必要なく、戦後ずっと続いてきた産業構造を見直し、資本市場や労働市場を柔軟に機能させて硬直化した資源配分を是正する規制改革と制度設計が重要である。それには古い産業構造を政治が支えてきたシステムを見直して既得権を撤廃し、非効率な企業を淘汰する市場の機能を生かさなければならない。「弱者」を救済するシステムも、現在のような非効率で不公平な福祉政策ではなく、負の所得税のような透明な制度に変えなければ、遠からず持続不可能になる。」(242-3頁)
著者の経済政策についての見解には、異論もありえよう。
しかし重要なことは、異論の格闘を通して、問題に向き合っていくこと。そのための政治の機能を高めることだ。本書は、そのために多くの示唆を提供している。