共同性を維持する現代の社会現象—その2

3月になりました。
悲喜こもごもの季節ですが、新しい年度へのよい準備のときとなりますように。

さて、前回と同様、樫村愛子ネオリベラリズム精神分析 なぜ伝統や文化が求められるのか』(光文社新書、2007年)の第四章「共同性を維持する現代の社会現象」から、今日は、企業的共同性を取り上げる。

著者は、マクドナルドで働いた経験を分析したフランス人社会学者ヴェベールの研究を紹介する。

「従業員の60%は学生であり平均年齢は22歳未満のマクドナルドの仕事は、単純作業が中心できつい仕事である。にもかかわらず、フランスで社会学の博士号をもつ心理学者であるヴェベールは、グランゼコール(フランスのエリート校)の受験時代、この仕事に魅せられてしまった。彼はこの体験を自己分析して修士論文と博士論文を書いた。」(213頁)

ヴェベールはマクドナルドの従業員の期間を、(1)「参加の期間」、(2)「融合の期間」、(3)「イマジネールの期間」に分ける。
「イマジネール」とは、「他者に想像的に同一化すること」とのこと。現実と明確に区別される想像ではなく、現実に先行する想像、ぐらいの意味か。

(1)「参加の期間」は、マクドナルドに帰属することを欲望するようになる時期。仲間に認められ、自分の居場所を確保していく時期だ。
(2)「融合の期間」は、自分の仕事が評価されるよう組織の基準に適合していく時期。成功で自信をつけ、さらに組織にコミットするようになっていく時期だ。
(3)「イマジネールの時期」は、(2)よりも「成功」するわけではないが、「さらに組織的なシステムへの信頼の上で組織への融合感情が持続していく期間」(214頁)である。

これを流れの観点から捉え直してみよう。

(1)マクドナルドで働く人は、まずは組織に溶け込めるかどうか不安な状態にある。しかしグループに参入して、そこに同化していくことによって、徐々に居場所を確保する。特に若者が多いマクドナルドの職場は、「若者が父への従属的な絆から離れるための移行的な絆から離れるための仮の自我理想を提供するものとなる」(215頁)。

(2)居場所を確保した若者は、職場の経験を積んでいくにつれ、自我理想を徐々にマクドナルドの理想へと置き換えていく。この理想は、ラカンの概念で「対象a」とよばれる。
これは「人が欲望の対象とする、移り変わるさまざまの対象」とのこと。
従業員は、お客さん・店長さん・同僚などの視点からみた「理想の従業員」を想像的に構築し、それになろうと欲望する。

(3)しかし、「理想の従業員」像は現実には矛盾するものであり、イマジネールとして持続しても、やがては幻想から醒めていく。あるいは、幻想と現実との矛盾を自力で解決できず、様々な症状を抱え込むことになる。

「ヴェベールの経験は、マクドナルドの労働者すべての経験というわけではない。統一教会にもいろいろな信者がいるように、マクドナルドにも醒めた労働者もたくさんいるだろう。しかし労働者に自主的にコミットさせるための強力なシステムが存在することは確認できる。」(217頁)

著者はさらに、これを「誰もが責任をとらない制度」という社会学者セネットの分析を付け加えて次のように言う。

ニューエイジに教祖がいないように、ここでも、各自は各自の幻想に閉じており、リーダーはファシリテーターのように自己責任を各自に押しつけるだけの存在となる。」(217頁)

こうして著者は、前回紹介した宗教的共同性と同様に、マクドナルド的な企業的共同性も、ある種のカルトであり、幻想で人を踊らせるシステムから成り立っているとする。
そして、電子メディアコミュニケーションの分析を加えて、現代の社会システムを成り立たせるコミュニケーションの特徴が「ノリ」(山本七平的にいえば「空気」と言えるだろうか)であり、「ノリを白けさせる言及」は排除されると指摘する(295頁)。

それでは、どうすればいいのか。

ヴェベールが、システムの中での経験を、認識を通して抜け出したように、「ここで起こっていることを馬鹿馬鹿しいと感じること」(296頁)。
しかし、そのように感じることには、システムから疎外されていくという不安も伴う。
だから、

「・・人間の変容には幻想や他者や移行対象が必要である。・・ノリの場以外の信頼の場を、文化や政治のレベルで調達していくことが必要だろう。」(296頁)

現代の未成熟な社会的文化的状況の背後には、幻想の貧困がある。
幻想、他者、移行対象を豊かにする仕組みづくり。

そのための理論の紹介は次回に。