国立大学から人文社会系学部がなくなってしまう(?)

大学をめぐる出来事がニュースで扱われるようになってきた。
でも、大学に関する出来事(文科省の方針等)がニュースになって伝えられるころには、すでに方針は既定であるため、メディアを通した公共的な議論が大学政策に反映されるということにはならない。これはこれで問題かもしれないのだが、そのことはひとまず措く。
いま「国立大学から人文社会系学部がなくなってしまう(?)」と話題になっている内容は、平成26年8月の国立大学法人評価委員会総会の資料では、「組織の見直しに関する視点」として、次のように書かれている。

◇組織の見直しに関する視点
・「ミッションの再定義」を踏まえた組織改革 ・教員養成系、人文社会科学系は、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換 ・法科大学院の抜本的な見直し ・柔軟かつ機動的な組織編成を可能とする組織体制の確立

この視点の具体的な内容については、赤字で次のような提案が記されていた。

○ 「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革が必要ではないか。 特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、 18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか。

これが、先日6月8日づけで文部科学大臣名で各国立大学法人に通知された文書では次のようになっている。

(1)「ミッションの再定義」を踏まえた組織の見直し
 「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。
 特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。

(ちなみに、組織の見直しについては他に(2)では法科大学院、(3)ではその他の組織が取り扱われている。また組織の見直しだけでなく、教育研究、運営等の業務全般の見直しも通知されている。)
これが、「人社系学部の縮小・廃止」というニュースとなって流れている。
さすがに「廃止」はいかがかと思うが、18歳人口の減少や、一部で指摘されている大学のレベル低下を考えると、「縮小」というのは、ありえる選択肢のようにも思う。
しかし、ありえると頭では理解できても、喜んで賛同できないのは、「社会的要請」という観点から、いわば無用とされるものを大学から除去していくこの政策が、本当に正しい政策なのかどうか、よくわからないからだ(「除去」ではなく「縮小」と「転換」ということかもしれないが、縮小や転換を迫られる側からは「除去」されるように見える)。
改革の背景としては、国際的な大学ランキングを挙げる必要がある(そうできなければ、優秀な人材が日本から出て行ってしまう、あるいは優秀な人間が世界からやってこないと言われている)という理由や、財政難の中で大学に予算を配分してもらうためには、財務省を説得するための社会的な支持が必要だ、などの事情があるのだろう。
問題は、こうした改革の背景となる問題と、その問題を解決するために選ばれている施策の理由、その政策を実行した場合の影響等が、関連しあう全体図として見えてこないということだ。
そして、そのように理由がはっきりしない中で、「社会的要請」という観点から、ある研究の分野や領域が「無用」であるとして葬られていく。
自ずと多くの人が、自らの仕事は「有用」であると、ことあるごとに説明を付け加えるようになるだろう。でも、10年後、30年後に何が「有用」なものなのか、一体誰が判断できるというのだろう。話を現代に限ったとしても、現政権に批判的な政治学者や憲法学者の仕事は「有用」とみなされるかどうか。有用か無用かの判断は、かなり恣意的なものだ。
こうした事態に不気味さを感じるのは、このような恣意的な判断に抗する余地がないようにみえるからだ。でも、と、例えば産業界の人は言うだろう。そんなことは当り前のことだ。いくら歴史や伝統があっても、需要がなくなっていけば、廃業せざるを得ない。それが、私たちの世界のあたりまえのルールだ、と。
市場の世界ではそうかもしれないが、学問や教育を市場モデルで考えることは、端的に誤りだと思う。しかし、いくらそれが誤っていると主張できても、財政難の上に18歳人口が減る中で、大学を縮小することは当然ではないか、どこを縮小するかは、それぞれの大学で考えなさい、と言われると、なかなか言い返す言葉がないのも事実だ。
このような議論の舞台を作り直すことが重要なのだと思う。縮小・転換か、存続かという議論を超えて(実際は、もう存続という選択はありえないわけだが、そうであればなおのこと)、新しい議論の枠組みを作り出すことが重要であるはずだ。そのためには、上に述べたように、改革の背景となる問題と、その問題を解決するために道理にかなっていると思われる施策、それを実行した場合の影響等について、全体図を描いて考え直すことが求められるているのではないだろうか。
「大学の機能」(大学は一体いつから「機能」に還元されるようになってしまったのだろう)や「社会的要請」(大学は時代を超えた価値やいまはいない未来の人からの要請も考える必要があると思うのだ)などの、市場における「神話の言葉」に翻弄されないために。