「権力核」の不在

飯尾潤『日本の統治構造 官僚内閣制から議院内閣制へ』中公新書,2007年


本書は,現下の日本政治が直面する問題の焦点を理解するための必読書である,と思う。まずは,日本政治に対する著者の問題意識を述べた箇所をざっと取り上げてみよう。

まずは,明治憲法体制の問題点。

明治憲法体制は,権力集中による独裁者を生み出したことによって崩壊したのではなく,意思決定中枢を欠くために,指導者がお互いに手詰まり状況に陥り,事態打開のための決断が遅れ,積み重なった既成事実が選択肢を狭めるなかで,対米開戦といった破壊的決定を下し,崩壊へ突き進んだのである。」(17頁)

次に,日本的な議院内閣制の問題点。

「[大臣が国務大臣ではなく,省庁官僚制の代理人となってしまうような]議院内閣制の変質は,時として大きな問題点を露呈する。それは,政府における最終的意思決定の主体が不明確化し,必要な決定ができなくなり,政府が浮遊してしまうことである。実のところ,日本において議院内閣制の問題点として指摘されることの多くは,官僚内閣制の問題点なのである。」(25頁)

この官僚内閣制の問題点とは何か。

「内閣が官僚内閣制的に運用されることの問題点は,意思決定中枢が空洞化して,寄せ集めの政策しか出せないところにある。」(34頁)

官僚内閣制に象徴される,戦後日本の政治構造の問題点とは何か。著者は次のように要約している。

「第一は政治の方向を決める「権力核」の不在である。官僚内閣制では,各省各局各課の分担を通して積み上げ方式で政策がかたちづくられる。・・[そういうところでは]全体的な方向性の判断は難しい。・・・
・・第二に,権力核の民主的統制の強化が課題となる。その問題の中核を占めるのが,選挙による政権選択の問題であった。・・・
・・関連する第三の問題として,政策の首尾一貫性の確保の難しさが浮上する。政策課題は,政府内の各所で検討されており,それぞれ調整されるために,政府全体として何をめざしているのかが不明確になりがちであった。・・」(177-181頁)

以上のような問題に対して,著者は解決の方向性を次のように提示する。

「[議院内閣制の特質を十分に活かしてこなかった戦後日本の政治が,議院内閣制の本来の機能を活用する]その場合の鍵となるのは,衆議院総選挙における政権選択選挙の実現と,内閣総理大臣(首相)の強化である。」(182頁)

このような「権力核」の必要性を論じる議論に否定的な感情を抱く人も,あるいはいることだろう。著者も,それを予想して次のように述べる。

「これまで,日本の中央政府の統治構造の検討を進めてきたが,いかにそれを合理化しても,日本国家の持つ意味が変われば,無意味であるという批判もあり得る。・・・
・・議院内閣制を確立して国政における権力核を明確にしても,物事を決められる範囲は限定され,無駄な努力だという意見がある。あるいは,グローバリゼーションが進み,国家の枠組みが相対化されているのだから,国家はできるだけ物事を決めず,市民や企業,地方自治体などが,問題を解決するのを見守るべきだという意見もある。
これについて結論から先にいえば,だからこそ国政の中心は明確でなくてはならないのである。」(225頁)

著者は,見通しのきかない不透明な社会に対して,権限と責任を明確にした政治の態勢を整えることの必要を説く。

「価値観が多様になったからといって,決定がなされなくてもすむわけではない。異なる価値観を大きく包み込む国家の仕組みと,それに合わせた決定手法の開発が必要なのである」(233頁)

政治というものの存在理由の,少なくともそのひとつは,ここにあるのだろう。
政治的な権力とは,たんに人々を支配するためのものなのではない。それなくしては流れに流されてしまうだけの人間が,それによって自分たちの世界を築くための足場,なのだと思う。