アレントと政治

ハンナ・アーレント(ウルズラ・ルッツ編)『政治とは何か』(佐藤和夫訳)岩波書店,2004年


10月8日の日記に,近いうちにハンナ・アレントアーレントとも表記)のことを取り上げたいといっておきながら,取り上げることができないできたが,一昨日の古代ギリシアの政治に関連して,ここで取り上げておきたい。
本書は,アレント(1906-75)の代表作『人間の条件』(1955,日本ではちくま学芸文庫に収められている)と並行して計画されていた『政治学入門』の草稿・断片集である。没後すでに30年以上を経たが,彼女は現代もっとも注目されている政治理論家の一人である。
まずは,編者による序言を引用し,アレントという思想の中心を紹介してみよう。

ハンナ・アーレントが政治的なものの積極的な意味を問う際には,二〇世紀の二つの基本的な経験から出発している。これらの経験は政治的なものの意味を見えにくくさせ,いやそれどころか,反対のものにひっくり返してしまう。すなわち,国家社会主義共産主義という形をとった全体主義体制の成立であり,原子爆弾という形態をとって人類およびあらゆる種類の政治を解消してしまうような技術手段を政治が今日操っているという事実である。」(vi頁)

全体主義原子爆弾の経験は,政治的なものの意味をどのようにして見にくくするのか。

「・・この体制[全体主義体制]は人間の自由をまるごと廃絶し,事態の進展をイデオロギー的に根拠づけられた歴史的規定に従属させ,テロとイデオロギー支配を通じて個人による自由な反抗を不可能にしてしまうものだからである。こうした背景に対してハンナ・アーレントは,ギリシアのポリスにおいて歴史上初めて現れるに至った自由と同義である政治的なものの観念をいつも新たに想起させようとした。・・アーレント氏が強調したのは,政治は人間の中にではなく人間の間に生じるし,異なる人間たちの自由と自発性は,人間たちの間の空間が成立するために必要な前提だということである。その空間の中に政治,真の政治がはじめて可能になる。「政治の意味は自由である」。」(vi-vii頁)

このような意味の政治は,現代の常識的な政治観とは大きく隔たっている。多くの人にとって政治は,政治家や政治的集団の資源や物理的暴力を行使して行われるパワー・ゲームである。
ある国が核爆弾の実験をするのも,自分が行使できる資源を誇示して,ゲームを有利に展開するためである。選挙は政党のもてる資源や力を最大限動員して勝敗を決するゲームであり,政治家がこのゲームの中で生き続けることを余儀なくされた生きものである限り,政治家の力とは選挙に勝つことのできる力以外の何ものでもない。
しかし,アレントは,こうした権力中心の政治観を否定する。何と非現実的な,と思うかもしれないが,しかし核時代におけるパワー・ゲームの現実化の悪夢を想像するならば,権力中心の政治観に固執することがいかに悠長で無責任なことか,という気持ちも湧いてはこないか。
ギリシアのポリスに歴史上初めて現れるに至った自由」,これが「政治」を考えるときの基準である。このような観点を採用することで,アレントにとって古代思想家は次のように見えることとなる。編者の評注から引用する。

ハンナ・アーレントの政治理論観にとってのソクラテスの重要さは,どう高く評価しても評価しすぎることはない。アーレントによると,アテナイのポリスにおいてソクラテスが政治をめぐってした経験は,西洋史の過程で「政治哲学」あるいは「政治理論」になるべきはずのものの出発点をなす位置にある。・・・「我々の政治思想の伝統は,ソクラテスの死がきっかけとなってプラトンがポリスに対する信頼を失い,同時にソクラテスの教説の基盤をなす一定の部分に疑念を持つようになったときに始まった。ソクラテスが,アテナイのもっと良質で若いグループの市民にとっては明白であった自らの無罪と功績を裁判官に説得する能力がなかったという事実は,プラトンに説得術の有効性に疑問を抱かせた。ソクラテスアテナイ人たちの無責任な意見に向かって,彼の「憶見 doxa 」を提起し,彼らが多数決票に負かされるのを見なければならなかったという光景は,プラトンに,世論の意見というものを軽蔑し,また,人間の行為を判断でき,人間の行動が一定の信頼をおけるための絶対的基準を求めるようにさせた」と[アーレントは]言っている。ソクラテスの有罪判決と死によって,アーレントからすれば,哲学と政治がどんどん離れていって敵対関係が生まれるほどまでに展開していった。そして複数で存在する人間の代わりに<人間>に焦点が当てられる伝統の流れが開始され,そこでは政治的な出来事の考察にあたって「支配」や「暴力」が中心におかれ,「自由」や[人間が,暴力に拠らずに,他者と協力して活動する能力を基礎とする,複数の人間からなる集団の能力としての]「権力」は背景に押しやられ,もしくは完全になくなってしまう。ソクラテスではなく,プラトンが「ヨーロッパにおける政治哲学の父」となった。」(138-139頁)

「複数で存在する人間の代わりに<人間>に焦点が当てられる伝統の流れが開始され」,「プラトンが「ヨーロッパにおける政治哲学の父」となった」という記述から,アレントにおける,ソクラテスプラトンの位置づけがわかるだろう。
ところで,ここに括弧付きで表記された<人間>とは何か。
アレントが師の一人ヤスパースに宛てた手紙を,本書中の引用からそのまま写す。

「・・根本悪が実際に何かということは私[アレント]には分かりませんが,次のような現象とどこかで関係があるように見えるのです。すなわち人間を人間として余計なものとしてしまうことなのです。・・このことが生じるのは,人間の予言不可能性(unpredictability)をまるごと排斥してしまう場合です。すべてを予測はできないから人間の側の自発的行為もあるのです。こう言うことはすべて再び,<人間>が全能の権力を持つ(単に権力欲ではない)という妄想から生まれてくる,いやもっと正確には,そのことと関係があるのです。<人間>としての人間が万能だとされてしまうと,実際には,どうして複数の人々がいるのかが見えなくなってしまうでしょう。ちょうど一神教において,神が全能であることによって一者になるのと同じです。この意味で<人間>は,さまざまな人間たちを余計なものにしてしまうのです・・・。」(122-123頁)

古代民主政のもとで花咲いたギリシア悲劇(例えば,ソフォクレスの『アンティゴネー』や『オイディプス王』が読みやすい)が,市民に「人間の予言不可能性」を教えたこと,古代ギリシアの最大の悪徳がヒュブリス(傲慢)であったこと,これらは,アレントの視点からみるならば,「自由の政治」の指標だったのではないだろうか。