物語りはじめるために

古井由吉『始まりの言葉』岩波書店,2007年


昨日(9月2日)の記述は,権力者に対する記述としてはいかにも甘いものだったかもしれないと,反省している。
言いたいことにかわりはないのだが,話題にした人物は,希望をまったく失ってしまったというわけではなく,自分の属する政党が生き残る希望(そしてそれが,当人にとっては,日本が生き残るための希望なのだろう)にかけたとは言えるのだろう。しかし,まさにそれが,「ほぼ点にまで縮まった「いま」への,自己の無惨な封鎖」でしかないということを,昨日は言いたかったのだ。
それはさておき,そこで話題にした「物語」について,すこし考えてみたい。
共同に生きる人々の共通の「物語」とは,私たちはどこから来て,どこへ行くのかを物語るものでなければならない。
何が公共の物語になるのか,そもそもそうした公共の物語ができるのかどうか,それは,歴史の複雑な事情が影響して,確定的なことは誰も言えないが,しかし,ともかく,そうしたことを考え,語り合うということが,大切なことだと思う。そうでないと,「いま」にかかずらうばかりとなり,未来の希望がなくなるから。
では,具体的にどうすればよいのだろうか。
一つのヒントは,時代を画する年はいつだったのかと問うてみることである。そうすると,「物語」の舞台や登場人物が具体的になってくる。

「一九八五年という年を私は,諸々のエポックメイキングな事象事件や発明発見到達の指摘はそれぞれの道の識者にまかせるとして,二十世紀後半の一つの境目として挙げたい。その年の秋,アメリカの有名俳優がすでに重体の身を飛行機で故国に運ばれると,その到着を待って報道陣が空港に押しかけ,上空にはテレビ局のヘリコプターが舞った。アメリカではすでにその七年前の七八年にその病気の患者が発見され,八一年には有力紙が原因不明の癌のことを伝え,やがて防疫センターが後天性免疫不全症候群エイズなる病気を認知した。しかしそれまでにその存在の知れ渡ったこの病気が完全な社会的関心を,その意味での「市民権」を得たのは,この俳優の帰国と死がきっかけだったと伝えられる。・・」(25-26頁)

なぜ古井由吉氏は,エイズの社会的認知をこれほど重視するのか。

「・・「エイズ」以前と以後とでは,人体に関する人の知識が格段に変わってしまったのではないか。たしかに一般人にとって後天性免疫不全の説明は難解であり,通常とは異なった頭の使い方を要求するので,半分もついて行けない。それでそのつどごく表面的な理解に留まるわけだが,それをくりかえすうちにいつのまにか,振り返ってみれば以前の自分ならとても取りつけそうにもない,高度の知識が備わっていることに気がついて驚くのではないか。それは癌の関心と結びついて,遺伝子にまで及ぶ。臓器移植にまで及ぶ。人体について,知識の変化は観念の変化を伴う。・・」(27頁)

このような変化を経ながら,しかし変化した後の人びとは,変化する前の人びと(それが自分自身であっても!)を忘れてしまう。
物語ることは数多くあるはずなのに,「いま」の関心を生きるだけで,それらが物語られることのないままに,時間は流れていく。こうして,共同の世界を生きていくための基盤が,壊れていくような気がする。