ガリヴァー旅行記を読む

高坂正堯『近代文明への反逆─社会・宗教・政治学の教科書「ガリヴァー旅行記」を読む』PHP研究所、1983年


著者高坂正堯(こうさか・まさたか、1934-1996)は、現実主義の立場から政治についてたびたび発言し、注目を集めた国際政治学者である。京都大学法学部教授をつとめ、テレビのコメンテイターとしても有名だった。
高坂氏の父、高坂正顕(こうさか・まさあき、1900-1969)は、京都帝国大学文学部に学び、一九四〇年から京都帝国大学人文科学研究所教授、戦後は関西学院大学文学部教授などを歴任した哲学研究者である。戦中、海軍に協力したために公職追放を受けた。
高坂正堯氏の現実主義には、父の姿を見るなかで学んだものが数多くあるのだろう。
そうした高坂氏のお眼鏡にかなう作家が、『ガリヴァー旅行記』で有名なジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift, 1667-1745)である。

「私が・・スウィフトが好きなのは、彼がいろいろと考えさせてくれるからである。実際その点こそスウィフトのイギリスに対する貢献と言えるだろう。また、スウィフトのような変人が各時代にいたことが、イギリスの活力と正常さを保つことになった重要な原因であろう。」(まえがき)

ガリヴァー旅行記』(正式な題名は、『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリヴァーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇』“Travels into Several Remote Nations of the World, in Four Parts. By Lemuel Gulliver, First a Surgeon, and then a Captain of several Ships”)は、1725年頃(日本では享保の改革の時期)に書き上げられた。子どもの読み物と受け取られているが、実は大人のためのユートピア小説である。
ユートピア小説は、現実にはない世界を描く。しかし、それを読む人は、妙なリアリティに惹きつけられる。虚構だが現実、あるいは、虚構を通しての現実。この否定的な現実観を通り抜けると、現実の虚構性、あるいはその馬鹿馬鹿しさ、に気がつかされる。

「どの時代でも政治の世界の競争には、馬鹿げたところがあるものだが、王政のもとにおいては、競争は宮廷の御機嫌とりという形をとり、その馬鹿らしさは人間的で見やすい形をとる(大衆民主主義では、政治家は大衆の御機嫌取りをせざるをえず、これまた馬鹿げた様相を呈することをついでながら指摘しておこう)。」(72頁)

もっとも著者は、民主主義を投げ出すことをすすめているのではない。民主主義の幻想化を戒めているのである。虚構を通した現実の馬鹿馬鹿しさの認識は、現実から距離を取りながら、どうやってそれと付き合っていくのがよいかを考えさせる。
スウィフトが付き合わなければならなかった政治の現実は、例えば次のようなものである。

「…「ここ七十ヵ月というもの、この国では二つの政党が激しく争っている。政党の名前は、それぞれトラメクサン党およびスラメクサン党というのだが、これは彼らを区別する標識である、穿いている靴の高踵(こうしょう)と低踵(ていしょう)とから来た名前である。事実この国古来の憲法からいえば、高い踵の方が好もしいと言われている。ところが、それにも関わらず陛下は、貴下もきっと御覧になったろうが、政府のあらゆる施政、あるいは陛下より賜わる諸官職において、もっぱら低い踵ばかりお用いになる。ことに陛下御自身用の靴などは宮中のだれよりも…踵が低い。この両党派の反目というものは非常なもので、一緒には飲み食いもしなければ話もしない。数においてはまだトラメクサン、すなわち高踵党が優っているが、しかし権力は全くわが党の手にある。ただ心配なことは、皇儲(こうちょ)殿下がどうやら高踵党の方に傾いていられるらしい。その証拠には少なくとも殿下のお靴は一方の踵が他の一方の踵よりも高くて、ために跛(びっこ)を引いて歩いていられることは、われわれにもはっきり分かる。」(第一篇第四章)」(75頁)

低踵党と高踵党とはホィッグ党とトーリー党、陛下と殿下とはジョージ一世とその後を継ぐジョージ二世のことである。これをホィッグやトーリーという名詞で書いたら、読者は生々しい現実に距離を保つことが難しくなる。虚構の表現を通すことにより、読者は現実に対する距離を手に入れ、かえって冷静に現実を見ることができるようになる。

ところでスウィフトの鋭い目は、政治状況だけではなく、人間性そのものにも向けられた。『ガリヴァー旅行記』第四篇「フウイヌム国」(馬人国)の物語である。
馬人国では、「人間と同じ肉体的特徴をもつ動物は、理性が発展せず下等動物なのであり、「ヤフー」と呼ばれて、馬の形をした動物の支配を受けているのである」(166頁)。
スウィフトは、馬が人間より優れているという「虚構」によって、人間が馬よりも優れているという「現実」を虚構化する。次はスウィフトからの引用。

「「この国のある地方の原野には、さまざまの色に光る石があって、これがまたヤフーどもの大好物である。よくあることだが、もしこの石が半分ほど地面に突き刺さっていたりすると、それこそ手に入るまで何日でも、朝から晩まで爪で掘りかえしている。そして家へ持ち帰っては、小屋の中にうずたかく隠しておくのだが、まだそれでも、もしや仲間どもに嗅ぎ出されはしないかと、ギョロギョロ眼であたりを警戒している。どうしてこうした不自然極まる欲望があるものか、またどうしてこんな石がヤフーどもに役に立つものか、主人にはさっぱりわからなかったが、今にして思えば、我輩が人類の習性だと言って話した、あの貪欲と全く同じ原理に基づくものに相違ない。」(第四篇第七章)」(169-170頁)

スウィフトは、石に価値があるとする「現実」を風刺し、そのような貪欲に動かされる人間の現実を描き出す。
スウィフトという人の精神は、あらゆる「現実」の中の理念や理想(「石の価値」)の「いかがわしさ」に敏感である。なぜならこの精神は、「現実」をそのまま現実として読み取るのではなく──高坂氏があまり好まないだろうドイツ哲学系の用語を使えば──「理念的なもの」を媒介として現実を解釈するからである。(「理念的なもの」とは「石の価値」としての理念や理想、つまり実体化された理想や理念とは異なって、現実と緊張関係をもつ。)
虚構を通しての現実とは、実体化された「現実」の虚構性への気付きであり、現実をこのようなものとして見ることができる点に、人間精神の独自性があると言えるのではないだろうか。
ヤフーとは、このような人間精神の独自性を転倒させた動物である。ヤフーは、「理念的なもの」ではなくて欲望を媒介として現実を受け止める動物である。欲望による媒介によってつくられる関係とは、性欲だけで結びつく男女がそうであるように、およそ人間らしい関係とは言い難いだろう。
「理念的なもの」は、しかし常に現実に媒介されて現実に対する批評の機能を発揮するわけではない。
「理念的なもの」と現実との関係が弱まっていくと、無力感やシニシズム、ペシミズムが強くなる。そうなると、「理念的なもの」は、ただ激しい否定の精神となる。そこで描かれるのは、救いようのない人間の暗い現実ばかり。「ヤフー」がそれだ。
著者はスウィフトの現実を見る眼を評価はするが、人間の否定的な側面ばかりを描くスウィフトの悲観主義には与しない。

「私はペシミズムやシニシズムをすすめるためにスウィフトのことを書くのではない。人間は、人間の弱さや醜さを認識しつつ、なお希望を託し、なんとかやって行く不思議な能力を持っている。スウィフトが生きた近代の初めはそうした能力が必要な時代であった。スウィフトが書いたことは人間の否定的側面に偏りすぎてはいるが、当時はそうした側面が通常の時代より見えた時代であった。それでも人びとはなんとか仕事をした。スウィフトは結局ペシミズムに陥ってしまったけれども、しかし彼は見事な書物を書いた。そのことを思いながら、この暗い書物[『ガリヴァー旅行記』]を読んで頂きたい。」(「はじめに」)

「それでも人びとはなんとか仕事をした」、とある。
「理念的なもの」は時に無力感やペシミズムという「想像力の病」(3月22日を参照)を引き起こす。これを癒すのは日々の仕事である。

ファンタジーと言葉

アーシュラ・K.ル=グウィン『ファンタジーと言葉』青木由紀子訳、岩波書店、2006年


入学式やオリエンテーションを終えて、いよいよ授業がはじまる時期となりました。
学校というのは、夢によって成り立つ空間だと思います。
個々の夢は社会的な幻想の根から養分を得て開く花であり、この個々の夢を通して社会的な幻想は増殖させられたり、あるいは次の世代に伝えられたりします。
この夢と幻想の範囲が、共同の世界を形成します。
大学が大学として成り立つためには、この共同性が、そしてその共同性を成り立たせる夢が必要です。
そして、ここに、共同性を成り立たせる想像力(夢や幻想を見させる能力)の質という問題が浮上します。(以下、文体をかえて述べます。)


想像力の質──前回(3月26日)はこれを、私的想像力と公的想像力の「病」や「健康」と表現した──を問うというのは、なかなか難しい。というのは、想像力の働きやそれの生み出した想像物を評価する営み自体が、想像力の営みだから。
想像力の「病」や「健康」というのは、ある種の前提を認め、その前提から価値判断することによって弁別される。
「病」と「健康」を弁別するその前提は、かつては共同体の神話や宗教という形で存在したが、共同体を破壊しながら自己を形成してきた近代社会では、それは道徳や倫理、文学や芸術、政治や経済に分散してゆく。
そうした、分散の一つの形が、ファンタジー文学なのだろう。

冒頭に挙げた『ファンタジーと言葉』の著者、ル=グウィンは『ゲド戦記』の作者として有名。本書は、世界を理解するためのヒントとなる言葉がつまっている。
以下は、『ファンタジーの本』に寄せた序文「現実はそこにはないもの」から。

「わたしたちが現在フィクションというとき、それは一八世紀以来の伝統を持つ小説と短編物語を指すが、このフィクションは、自分と異なる人間を理解するために、直接の経験を除けば最善の手段となる。フィクションはしばしばほんとうに、直接の経験よりはるかに役に立つ。・・・経験のほうは、ただただ人を圧倒して、何が起こったかわかるようになるのは何年も何年も経ってから、いや、結局はわからないことだってあり得るのだ。フィクションが現実よりはるかにすぐれているのは、事実、心理、道徳に関して、役に立つ知識を提供してくれるところである。」(56頁)

経験の意味がわからないかもしれない、ということは、よく心しておかなければならないことだろう。
そして、だからこそ、事実や現実そのものよりも、むしろフィクションこそが役に立つ知識を与えうる。フィクションは理解できる形式で書かれるから。
ただしフィクションは、しばしば文化によって規定され、異文化の人には理解できないことがある。

「写実的なフィクションは、文化によって規定されるものだ。それが自分の文化の、同時代の話であれば、問題はない。一方、その物語が、別の時代の、別の国のものだとすると、それを読んで理解するためには、置き換えあるいは翻訳という行為が必要になるが、多くの読者はこれができなかったり、したがらなかったりするのである。」(58-59頁)

文化的に通用する範囲が限定される「写実的なフィクション」とは異なって、ファンタジーは普遍的である。

「ファンタジーもしばしばありきたりの生活を舞台にするが、リアリズムが扱う社会的慣習よりも恒久的で、普遍的な現実を原材料として使う。ファンタジーをつくりあげている実体は心理的な素材、人類に共通の要素である。現在のニューヨーク、一八五〇年のロンドン、三千年前の中国について何一つ知らなくても、あるいは学ばなくても、わたしたちにわかる状況やイメージがその普遍の定数なのである。」(57頁)

例えば、現代映画はなぜかくも多くファンタジーの形式を取るのか。その理由はファンタジーのもつ普遍性がグローバル化したこの世界に適合的だからだろう。
宮崎駿が世界的に評価されるのも、あるいは村上春樹が世界的に読まれるのも、それが写実的なフィクションではなく、普遍的な神話のファンタジーだからだ。

「二〇世紀から二一世紀への変わり目の社会は、グローバルで、多言語主義で、恐ろしく非合理的で、たえず根本的な変化にさらされており、連続性と、共通の人生経験を前提とする言語では描写できない。だから作家たちはグローバルで、直観的なファンタジーの言葉に頼り、できるだけ正確に「わたしたちの今の」暮らしを描写しようとしているのだ。
そういうわけで、今日非常に多くのフィクションにおいて、わたしたちの日常生活を奥の奥まで見抜く正確な描写が、奇妙な感覚で一面に彩られたり、異なる時代の話になったり、想像上の世界を舞台にしたり、薬物や精神病による幻想の万華鏡に溶かし込まれたり、あるいはつまらない平凡なものが突然の高まりとともに幻視的なものになったり、また同じように簡単にもとの平凡なものに戻ったりするのである。」(58頁)

現実と幻の間を往還する世界に生きる人間にとって、その世界を生きる手がかりとなるのは、言葉であり、フィクションである。
ところで、学校では、この生きる手がかりをしばしば「心の糧」などとよんだりする。「心の糧」という言い方には何か道徳臭いニュアンスが付きまとうが、しかし、それは(一般的に了解される)道徳などよりもずっと深い次元において必要とされ、実際に食されているものなのだ。
新約聖書には、荒野で四十日間断食したイエスを悪魔が誘惑する有名な物語がある(マタイ4章)。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と誘惑する悪魔に、イエスは「人はパンだけで生きるものではない、神の口からでる一つ一つの言葉で生きている」とこたえるのだが、現代においてこの言葉のパンを生み出すのが、物語作家である。
著者は、作家ボルヘスの偉大さにふれながら、この小さなエセーを締める。

ボルヘスの作品は、わたしたちのために「現実には存在しない事物の像を精神的に構成」してくれ、わたしたちがどんな世界を生きているのか、その世界のなかでどこへ行く可能性があるのか、何を寿(ことほ)ぐことができ、何を恐れなければならないのかについて判断する助けとなってくれるのである。」(59頁)

想像力の「病」と「健康」の判断とは、どんな世界を寿ぎことができ、またどんな世界を恐れなければならないのかについての判断、と言い換えることができるだろう。
現代人は、どんな世界が寿ぐべき世界で、どんな世界が恐るべき世界なのか、その判断能力を失いかけながらも、例えばファンタジーという形でそれを取り戻そうとしている。
ファンタジーは非現実的な夢物語などではない。
前回(3月26日)とりあげた石橋湛山は、日蓮宗の寺に生まれ、若い頃は文芸批評を著した。
彼の社会現実を見る眼の鋭さは、どんな世界を寿ぎまたどんな世界を恐れるべきかを見透す判断力によるものだったのではないだろうか。そしてその判断力は、幼少期の宗教的教育や若い頃の文芸研究と切っても切れないものだったのではないだろうか。

哲学的日本を建設すべし

石橋湛山「哲学的日本を建設すべし」(明治四五年六月号『東洋時論』「社論」)、松尾尊兌編『石橋湛山評論集』岩波文庫1984



卒業・修了シーズンです。
卒業・修了される皆さんの前途をお祈り申し上げます。


さて、前回(3月22日)の日記の末尾に、「公的想像力と私的想像力の病」にふれた。
今日は、「公的想像力の病」について考えるために、「健康」な公的想像力を発揮した事例として、石橋湛山を取り上げたい。
石橋湛山は、1884(明治17)年生まれ、1973(昭和48)年死去。在野のエコノミストとして名高く、戦後わずか2ヶ月で病のために総理大臣の地位を去った「悲劇の宰相」としても有名。「小日本主義」など日本の進路についての評言の適確さで称賛される。

本論冒頭で湛山は、訴訟に現れる日英両国人の相違を指摘する。
ある日本人が、思想上の事件のために有罪を受け、控訴しようとしたが、弁護人や知人にかえって不利となるので軽微の処罰に甘んずるがよしとすすめられ、控訴を断念した。それに対して湛山は、わずか「数シリングの金子(きんす)に付着せる自己の権利を主張するために、数年にわたって、政府を相手取って法廷に争った」英国のジョン・ハンプデンの例を挙げる。

「彼はさすがに英国の紳士であった。国士としての自覚があった。金子はわずかの事であっても、そこに存する我が国民としての権利を軽んずべからざることを十分に知っておった。」(24頁)

目先の利益からすれば、控訴を断念した日本人の方が賢いかもしれない。しかし、目先の利益からする判断のために、かえって国民としての権利は軽んじられることになる。
この日英の相違は何に由来するのか。
湛山は、上の日本人の思想を「浅薄弱小なる打算主義」と呼び、ここに日本人の人心に食い入る病弊を見出す。

「実に我が国今日の人心に深く食い入っておる病弊は、世人がしばしば言う如く、そが利己的になったことでも、打算的になったことでも、ないし不義不善に陥っておることでもない。吾輩はむしろ今日の我が国には、余りに利他的の人の多く、余りに非打算的の人の多く、余りに義人善人の多いことに苦しみこそすれ、決してこれらのものが少ないとは思わない。しからば吾輩の認めて以て我が国現代の通弊となす処のものは何か。曰く、今述べたる利己に付けても利他に付けてもその他何事に付けても、「浅薄弱小」ということである。換言すれば「我」というものを忘れて居ることである。確信のないことである。膊力の足りないことである。右顧左眄することである。」(25頁)

なぜ、日本人は浅薄弱小に陥ったのか。
湛山はそれを、日本に哲学がないからだとする。そして、哲学がないとは、「言い換えれば自己の立場についての徹底せる智見が彼ら[我が現代の人心]に欠けておる」(26頁)ことだという。
自己の立場についての徹底的なる智見こそ、公的想像力を健全に保つ鍵となる。

「顧みるに我が邦は今や内外種々なる点において容易ならぬ難局に立っておる。満州の問題は如何、対支那の問題は如何、資本家対労働者の問題は如何、いわゆる高等游民の問題は如何、国民道徳の問題は如何。かくの如く数え来れば、一刻もその解決を猶予して居られない大問題難問題は、国民の四囲内外にほとんど身動きも出来ないほど積っておる。そもそもこれを吾人は如何にすべきか。曰く、ただ吾輩が前説せしが如き強力鋭利なる大智見の刀を以て、片端からこの乱麻を断って行くのみである。」(27頁)

「大智見」によって、「乱麻」を断つ。
乱麻とは、乱れもつれた麻のこと。公的問題は、まさに乱麻の如くあり、その複雑さを解きほぐすは容易でない。それが四囲に積もれば、身動きもできなくなる。

政治が直面する世界とは、常にこのような難局である。そこでは、何が理性的であり且つ実現性ある判断なのかを知ることは、なかなか難しい。
実現可能かもしれないのに、自ら限界を定めて不可能とし、それを主張する人を非現実的と非難することもある。
逆に、非合理で実現不可能なことなのに留まることが出来ずに突き進み、にっちもさっちもいかぬ泥沼にはまりこむこともある。

湛山は、このような難局における大智見の意義を強調する。

この社説が書かれた明治四五年の後の歴史をふり返るならば、その後の日本が「大智見」なく振る舞ってしまったことの愚かさを思わずにはいられない。
しかし現代の私たちも、そのような歴史に学んで、湛山が語ったような「大智見」をわきまえていると言えるであろうか。

「吾輩は切に我が国民に勧告する。卿らは宜しくまず哲学を持てよ、自己の立場に対する徹底的智見を立てよ。而してこの徹底的の智見を以て一切の問題に対する覚悟をせよと。即ち言を換えてこれをいうならば、哲学的日本を建設せよというのである。
哲学は最も徹底的に自己を明らかにする者である。何をおいてもまず自己を考える。而してその明瞭にせられたる自己から出発して、新しき日本を建設する、これ実に我が邦目下の急務であると思う。」(28頁)

乱麻を断つ「徹底的智見」があってはじめて想像力は、現実の乱麻に絡め取られることなく、健全に伸びゆくことができる。
逆に、この智見を欠如した想像力は「浅薄弱小の打算主義」に病んでいく。


これから社会にでる皆さんに、湛山の「哲学的日本を建設すべし」を贈ります。

センス・オブ・ウォールデン

スタンリー・カベル『センス・オブ・ウォールデン』齋藤直子訳、法政大学出版局、2005年(原著、1972年)


ほぼ3ヶ月ぶりです。

更新できない日々が続くと、このブログも止めようかとか、あるいはコンセプトを変えようかとか、いろいろと考えないわけではなかったのですが、やはり、いままでの基本路線のまま継続していくことにしました。
あいかわらずの低頻度の更新となるでしょうが、ときどき御覧頂けたら幸いです。


ソローの『ウォールデン』(原著1854年。邦訳は『森の生活─ウォールデン』飯田実訳、岩波文庫、1995年)は、なかなか通読することのできない書物である。一文一文に立ち止まらされ、考えさせられる。
たとえば、次のような一節。

「諸君は商売をはじめてみたり、借金地獄から抜け出そうとしてみたり、いつも崖っぷちに立たされている。ところで、大むかしから泥沼にたとえられた借金のことを、ラテン人は・・「他人の真鍮」と読んだが、これは彼らの硬貨のあるものが真鍮でつくられていたからである。いまでもひとは、この他人の真鍮にすがって生き、死に、葬られている。明日は借金を返す、かならず返す、と言いながら、今日、返済できないまま、ぽっくり死んでしまう。」(『森の生活』飯田実訳、上巻15頁)

「ときどき不思議に思うのだが、われわれは黒人奴隷制度と呼ばれる、野蛮とはいえ、北部ではやや縁の遠い人間の苦役のことが気がかりでならないほど─あえて言わせていただくなら─おめでたくできているらしい。北部と南部をどちらも奴隷化してしまう抜け目のない悪辣な親方がいっぱいいるというのにである。南部に奴隷監督がいるのはやりきれないが、北部にいるのはもっとやりきれない。いちばんやりきれないのは、自分自身を奴隷にしている奴隷監督がいるということだ。」(前掲書、上巻16頁)

このアメリカ文学の古典のなかに、スタンリー・カベル──Stanley Cavell 1926年、アトランタ生まれ、ハーバード大学で博士号を取得し、1963年から同大学で教鞭を取る──は「哲学的な美と精密さを発見」する。
『ウォールデン』の「むすび」のなかの一節を引用しながら、カベルは次のように論じる。

「「私は、最も強く正しく私を惹きつけるものに対して、重みをもち(weigh)、腰を据え(settle)、引き寄せられていきたい。……ある事態を想定するのではなく、ありのままにとらえたい。私に可能な唯一の道、その途上にあってはいかなる力も私に抗うことができない道を旅したい。堅固な基盤を持つ前に白持(アーチ)を積み上げ始めるということでは満足できない。……あらゆるところに堅固な底はあるのだ。(XVIII, 14)」[以上の『ウォールデン』の引用箇所は、岩波文庫版では下巻286-287頁。ただし、邦訳のニュアンスは異なる。]
腰を据えるということは、ものごとの重みを量ることに関係している。また、熟慮し熟考することとも関係している。思慮深く生活するとは、腰を据えることであり、自分自身を明瞭にすることであり、自らの足場を発見することである。」(カベル『センス・オブ・ウォールデン』88頁)

しかしながら、思慮深く生活することは困難である。私たちは、しばしば無意識のうちにも嘘を口にし、それを論理の言葉で塗り固め、自ら信じ込んでしまう、のではないだろうか。
カベルは、ソローに即しつつ、次のように続ける。

「最初は思慮深い選択のように思われるものが、申し分のない選択となってしまい(彼らは、他に選択肢がないと心底考えている)、思慮深いものではなくなる。そして……熟考されずに軽々しく行われる選択となる。」(89頁)

つまり、思慮深く生活しているつもりだったものが、実は腰を据えることも、自らを明瞭にすることもない生き方に陥ってしまう。人は、しっかりとしたヴィジョンをもって生きているつもりでも、いつの間にか悪夢の中に生活する。それなのに、そのことに気が付かない。

「どうしてこのような事態が生ずるのであろうか。この悪夢によって、恐ろしさのあまり目を覚ますことすらないというのはどういうことなのか。それは、ある種の想像力の病、宗教と呼ばれる私的想像力であると同時に、政治と呼ばれる公的想像力の病である。」(89頁)

想像力の病は、事実や経験によって矯正されなければならない。しかし、それで問題が解決するかと言えば、そう簡単ではない。

「われわれは、迷信から解放されることになっていた。ところが、天啓の命令として信じられるものの虜となって凍りついた希望や恐れは、いまや経験の命令として信じられるものの虜となってしまった。」(90頁)

だから、私たちは「経験の限界」をも学ばなければならない。ところが、

「われわれの教育は悲しいことにおろそかにされている。いかに経験の限界を求め迫ってゆくかということを、科学者たちはその生活において学んでいるが、われわれは道徳生活において彼らのように学んではいない。よって、何であれ理性的な要請からはかけ離れたところで、自らの限界を定めてしまう。その帰結は……想像の形而上学、吟味されない空想の形而上学である。」(90頁)

冒頭に引用した『ウォールデン』の中に描かれた人間も、悪夢の中にいながら悪夢と気付かず、必要もない限界を自ら設けて生きている人間、ではなかっただろうか。

これからしばらく、「私的想像力と公的想像力の病」あるいは「想像の形而上学」について考えていきたいと思っています。

対話の哲学

村岡晋一『対話の哲学─ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜』講談社、2009年


私たちはいかにして私たちの世界を、そこで大切にされるべき価値観を、共に形成していくことができるのだろうか。(12月27日の最後の引用を受けて。)

同じ大学に勤める同僚や同じ関心をもつ研究者と一緒に、「地域創成リーダーセミナー」なるプログラムの企画運営の一端に携わっている。
先の土曜日にもたれたセミナーでは、人口減少と少子高齢化の進行、財政窮乏化が進むなかで、地域社会における官と民の共働はいかにあるべきか、ということが話題にされた。
目指すべきは、官の都合による「協働」ではなく、問題意識や解決の方向性、理念を共有し、共に地域を創り出す「共働」。そこで大切なのが、対話と共感である、という。

冒頭に挙げた書物は、このような現実世界における対話に役立つように書かれているわけではない。
しかし、この書物のような対話についての思考の深掘りをしないではじめられる対話の試みは、単なる自己主張でしかなかったり、他人を自分の都合で使う身ぶりでしかないだろう。

「最近日本で語られるようになった「対話の勧め」にたいしては、一言述べておきたい。日本も国際社会の一員となったのだから、いわば鎖国状態を脱して、外国の人びとと積極的に対話することを学ばなければならないとされる。ここまではよい。しかしそのあとに、だからこそわれわれ日本人はYESとNOをはっきり言えるようにならなければならないと語られる。そのさい前提されているのは、対話はたがいの言い分を主張することだという考えである。しかし・・これはじっさいには対話の勧めではなく、モノローグの勧めにすぎない。」(209-210頁)

ノローグ=独り言と、ダイアローグ=対話との違いは、我と汝、私と君の関係の違いである。

「一般にわれわれは、ひとやもののあいだに関係がなりたつためには、それらのあいだになんらかの共通性なり同一性がなければならないと考えている。つまり、関係を保証するのは関係項が共有するなんらかの「同一性」なのであって、それにたいして、関係項がもっている「差異性」のほうは関係をそこなう有害な要因とみなされるのである。・・そこで当然ながら、関係を確かなものにするためにはできるだけ「差異性」を排除せよという発想になる。」(9-10頁)

学校や職場でも何か共通のことが話題のきっかけになり、関係を作りやすい、というのはよく経験するところだろう。この共通のことに基づく関係は、しかし実は、共通のものに向かいあっているだけの関係であり、異なるものに向かい合っているのではない。そのため、

「ここではどんな外部も、関係すべき他者も存在しないのだから、関係そのものが不可能になっている。・・要するに、きわめてあたりまえに見えた関係についての[上述の]考えかたは、じつはきわめて自閉的な考えかたであり、「ひとりごと(モノローグ)」の思考なのである。」(10頁)

ノローグの考え方は、共通性の範囲に入らない者を排除する危険をもつ。「自分たち」の共通性を確認する作業は、同時によそ者を確認する作業でもあるからだ。
ノローグ思考は、左右のイデオロギーを問わず存在する。非合理的に見える右翼ばかりでなく、良心的に見える左翼の中もモノローグ思考が支配する。そもそも良心的左翼の原点である啓蒙主義のなかにモノローグ的思考が宿っている。

啓蒙主義は一見どんな超越的な原理も認めない徹底した世俗主義、内在主義のように見えるが、じっさいにはある種の「神学」への衝動を秘めているのである。」(29頁)

啓蒙主義は、普遍的な人間性=理性的人間の教説である。それは、伝統的な神学の神を放逐するが、しかし人間性=理性的人間という神を密輸入する。この真の人間性の所持者が新しい神となり、理性の所持者とそうでない者とが区別され、そうでない者は排除される。
社会主義では、その所持者は、資本主義のシステムに汚されていないプロレタリアートであり、その前衛である共産党となる。この言説構造が、粛正や虐殺を招いたことはよく知られている。
他方、資本主義では、例えば次のようになる。

「近代の支配的人間観であるホモ・エコノミクスの考えかたにしたがって、・・理性的人間とは、「みずからの生活を合理的に設計し、生活を物質的に豊かなものにしていくような人間」であると。こうした規定は未開社会の人間にはあてはまらないし、蓄財を卑しいとするような宗教を信奉する人びとにとってはすこしも理性的ではない。しかし、ひとたびこうした答えが掲げられてしまうと、もはやこの意見の対立は、「人間」と「人間」のあいだの対立ではなく、「人間」と「非人間」との間の対立になってしまう。・・彼ら[非人間]は排除され隔離されるべきだということになるか、ばあいによっては、彼らを徹底的に支配・管理し、まっとうな人間になるように教育するのが彼らのためであるといった、きわめておせっかいで危険な思想が生まれてくる。」(30頁)

ホモ・エコノミクスに関する説明については、昨日説明したような「誤解」が含まれる。(つまり、蓄財を卑しいとする人は、蓄財を卑しいと考える自分を満足させるように行動する、と考えるのが経済学の前提であるに過ぎない。)
(補足:しかし、このような「誤解」が生まれるのは、この経済学を生み出した世界が、同時にオリエンタリズム(西洋と東洋、文明と野蛮を区別し、自らを西洋・文明と呼び、東洋を野蛮と呼ぶ思考・学問の体系)を生み出した世界でもあるからだろう。もしも、経済学がオリエンタリズムと根っこでつながっているとすれば、経済学的な視点をとるということ自体が西洋的な価値観をとることを意味し、上の言葉は「誤解」ではなく、正しい「解釈」と言えるかもしれない。)
ノローグの思考は、しかし実は、啓蒙主義にかぎったことではなく、そもそも「哲学」という営みの始まりから一貫したものだと、本書の対象とする思想家たちにならって、著者はいう。
ノローグ的哲学とダイアローグ的哲学の差異をもっとも鮮明にうつしだすのは、ユダヤ人思想家ローゼンツヴァイクハイデガーとの比較である。

「ローゼンツヴァイクハイデガーの決定的な違いは、ハイデガーが「対話的人間」を非本来的な「頽落した」ありかただと批判して、そこから「メタ倫理的人間」という本来的なありかたへ立ちもどることを明示するのにたいして、ローゼンツヴァイクがその逆を主張するところにある。それどころかローゼンツヴァイクによれば、「メタ倫理的人間」は「対話的人間」へいたる第一歩でさえある。」(105頁)

ほとんどの哲学は、日常性にある人間を、世の中の「腐敗」や「虚偽」に巻き込まれた存在とみなし、そこからの覚醒の道を教える。人間は、ドクサに囚われ、真理から遠ざかっているのだ、という。
ハイデガー(特に『存在と時間』のハイデガー)もまた、「頽落」した非本来的な人間から、死の自覚を通した覚醒を教える(そんな単純なことではないというお叱りを受けるかもしれないが)。しかしこれこそ転倒であり、この転倒を逆転させなければならない、とローゼンツヴァイクは考える。

「たしかに、人間はひとりで生まれてきて、それぞれが自分自身の死を死ななければならないのは事実だが、だからといって、人間の生が孤独であり、みずからに閉ざされているということにはかならずしもならない。むしろ、ほんとうに孤独なものだけが「対話する」ことができ、ほんとうに沈黙しうるものだけがほんとうに他者によって語りかけられる準備ができており、したがって他者に応答することができるのではないだろうか。」(106頁)

エコノミストからは、そんなこと一人でやっていて、と言われてしまうかもしれない。
しかし、まさにこのような「深淵」の自覚にこそ対話の可能性があるのだ、と著者は言う。
深淵のなかの孤独。あるいは、将来を描けぬ絶望、強者に対する無力。多くの人が苦しんでいる場においてこそ対話が始まる、という、絶望の中の希望の哲学を、著者はみごとに描き出している。

21世紀の教養

芹沢一也荻上チキ編・飯田泰之他『日本を変える知─「21世紀の教養」を身に着ける』2009年、光文社
芹沢一也荻上チキ編・飯田泰之他『経済成長って何で必要なんだろう?』光文社、2009年


経済(学)と思想とは、必ずしも相性が良くない、と感じる。
もちろん、経済思想というのもあるから、思想一般が経済学と相性が悪いわけではないが、この両者の関係を考えると、前回(12月25日)扱った「問題の捉え方」というものについて考えさせられる。

戦後の日本ではマルクス主義の影響力が強く、資本主義社会には何からの問題が必ず存在すると考える人が大半だったと思う。どんな社会にも必ず問題はあるだろうから、このような予断は間違えることがない。実際、公害や環境破壊が、その確信を強めた。
しかし、マルクスが考えたように革命はやって来なかった。革命がとてもやってきそうにないほど市場経済が成功した。
1950年生まれのエコノミスト岡田靖氏は、経済学者の飯田泰之氏との対談で次のように述べる。

「岡田:・・・僕が高校生の頃、社会に対して批判的な視点をもっている人間にとっての最大の問題は、市場経済があまりにうまく管理され、労働者階級が資本主義経済に対して本来もつべき怒りをカネで解決し、怒りを感じさせないようにしていることだった。じつは、当時の新左翼の理論─例えばマルクーゼとかの理論というのはすごくて、市場経済は無制限に成長していくと考えている。
・・・
岡田:・・経済はどうにも止まらないんで、労働者がいつまで経っても目覚めない。どんどん生活がよくなる。だから、われわれ新左翼理論に目覚めた学生が労働者を覚醒させなければいけないというのが、当時の前衛の理論なわけです。既存の左翼は生活改善の話しかしていないから、経済成長に呑み込まれてはダメ。われわれは人間疎外とか、より根本的な問題についての認識があるから、この経済的成果の裏側に隠されている欺瞞性に気がついているのだ、というわけです。」(『経済成長って何で必要なんだろう』97頁)

「欺瞞性」と呼ぶかどうかはさておき、市場経済、経済成長にはもちろん問題が生じた。

「岡田:たしかに公害問題はあります。また、人間疎外というか、経済的に豊かになったって、実存の抱える問題がつねにある。その問題はお金で解決できないことは事実です。だけど、公害は規制や補助金、あるいは課徴金で対処できるし、個人の実存の問題はどうしたって社会には解決できない。まあ、こういうふうに割り切れるかどうかで、エコノミストになれるかどうかが決まるともいえますが。
飯田:そうそう。」(前掲書、99頁)

この逆を言えば、思想とは(多くの場合)、「個人の実存の問題」を「社会」で解決しようとするものだといえるのかもしれない。
それに対してエコノミストは、公害のようなものは社会の問題として解決しようとするが、実存の問題は個人の問題としてのみ扱う、そのような意味での個人主義者である。
このような個人主義の態度は、経済学というものの前提に関わる。飯田泰之氏は、経済学の基本的な考え方を次のように簡潔にまとめる。

「経済学というのは、いったい何をやっているのか。経済学の思考というものの一番の出発点になるのが、
 ・希少な対象を取り扱う
 ・人々は自分自身の満足度を最大にしようとして行動している
という二つのポイントです。」(『日本を変える知』23-24頁)

特に2番目のポイントは、「方法論的個人主義」という「なぜか論壇では非常に評判の悪い思考法」(25頁)である。
これは、

「「人は自分のことだけを考えて行動する“べきだ”」と主張しているわけではない・・
ポイントは、「人は自分のことだけを考えて行動する“もんだ”」と考えると、物事の説明が非常にうまくいくという点なんです。」(前掲書、25頁)

経済学では、例えば世界人類の幸福を求めてなされる活動も、それを「自分のことだけを考えて」なされる行動と解釈する。そうすると、人間の行動がうまく説明できるのだという。
「合理的経済人」の誤解についても飯田氏は次のように説明する。

「経済学は「合理的な経済人」というものを仮定してモデルを組み立てます。それを聞くと「非現実的だ、人間はそんなに何でも知っているわけじゃない。みんな非常に不十分な知識のなかで行動しているんだ」という感じで反論されます。これも実は用語法の誤解です。
・・・・
経済学者が仮定する「人々は合理的である」というのは、たとえばA君が何でも知っているとか、A君は世の中のモデル、経済状態などをぜんぶ知ったうえで行動しているなんていう、とんでもないことを言っているわけではありません。
経済学にとってどうしても必要な仮定というのは、A君がどうやって満足するのかを、A君より知っている人はいない、たとえば、どうしたら私が満足できるかというのは、私が知っている必要すらなくて、私がほかの人よりは知っていればいい。自分のことは自分が一番知っていればいい、完璧である必要はもちろんない、という状態が「合理性」だと理解していただきたい。」(前掲書、27-29頁)

先にもふれたが、経済学と思想との相性の悪さは、このような経済学の個人主義に由来しているように思う。
しかしながら、だからといって経済(学)が思想を必要としないというわけではない。経済学的な政策立案のためには、政策目標を支える価値観がなければならない。

「[なぜ経済学的な政策立案がうまくいかないのか]一つは経済政策にとって─これは経済政策以外でもそうかもしれませんが─政策目標が明確でない、ということがあげられます。つまり何をしたいのかがはっきりしない。
日本の場合、格差であれ、少子化対策であれ、教育であれ、何についてもそうなんですが、核になる価値観みたいなものが失われています。・・・
・・・
選挙民が選ぶのは政策ではなく価値観です。そして、その価値観に従った政策をテクノクラート(官僚)が粛々と進める。しかし、日本の民主党自民党には、どうも価値観の差がみえてこない。・・・
・・・
経済学の知識というのは、最初に触れたように、非常に工学的な部分があります。問題を与えられてはじめて、その問題を解決する最適ツールを探してくるという性質があるんです。平たく言いますと、先に「こうしてほしいんですけど、どうしたらいいですか」という注文、オーダーがないと、答えが出せないわけです。
しかし肝心の価値観が抜け落ちているので、多くの経済学者が仕方なく価値観の部分まで含めて政策プロポーザルを書くことになる。しかし、価値観問題に口を出したとたんに、私を含め、多くの経済学者は急に三流評論家というか、素人社会学者みたいになってしまう。」(前掲書、63-64頁)

日曜論壇などでエコノミストの話を聞いて物足りなく感じるのは、「目的」や「価値」に関する議論に深まりがないことによると、たしかに個人的に思うところではある。
しかしこれは、エコノミストだけの責任ではないだろう。
ある価値観を社会的に実現するために必要となる経済学的な思考力が、エコノミストではない人にも求められているのではないだろうか。思想はしばしばそれを「工学的」といって揶揄するかもしれないが。

希望を捨てる勇気

池田信夫『希望を捨てる勇気』ダイヤモンド社、2009年


問題に向き合うということが、最も困難な問題だ、と思う。
問題に置かれた人が少ない、などということではない。
多くの人間が問題に直面し、にっちもさっちもいかなる状況に置かれている。にも関わらず、それを問題として捉まえるということは困難だ。

冒頭に掲げたのは、ブロガーとして有名な池田信夫氏の著作。表紙の折り返しにある著者プロフィールによれば、池田氏は1953年生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHKに入社したが、1993年にそこをやめた。

「・・自民党で最高権力の座を目前にしながら党を割って出た小沢一郎氏の行動に感銘を受け、リスクを取らなければ何も変わらないと思った私は、細川政権が成立した直後にNHKをやめた。」(1頁)

その後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は上武大学大学院経営管理研究科教授。「池田信夫blog」で意欲的に情報発信をしている。
本書は、「リスク」を取ることなく現状に安住する日本人に対する警世の書である。
ここには、問題があるにも関わらず問題と向き合わない人間の姿がくり返し出て来る。
例えば、若者の雇用問題について。

「・・賃金コストを抑制したい経営者と、要員削減の「外堀」を深くしたい労働組合の利害が一致した結果、無保護・無権利のフリーターが大量に生み出された・・いいかえれば現在の雇用規制は、経営者と労働組合の既得権を守るために非正規労働者を身分差別する制度だといえよう。その被害者である非正社員は企業の意志決定に関与できないから、この「新しい身分社会」が定着し、そのまま高齢化するおそれが強い。
これは結果としての「格差」というより、非正社員労働市場から意図的に排除する「差別」である。その責任は第一義的には家父長的な労働行政と労使の結託にあるが、目先の温情主義で正社員だけを保護し、非正社員を差別してきた司法の責任も重い。」(18-19頁)

経営者、労働組合、労働行政、司法、それぞれがそれぞれの「問題」解決に取り組むなかで、かえって大きな問題が生み出されてしまう。
しかし、こんなに大きな問題でも、自分のものの見方のフレームから外れた問題は容易に認識されないし、また仮に認識されたとしても、解決のためのアクションがただちに起こるわけではない。

例えば、先頃行われた事業仕分けで、仕分け人に対して「歴史の法廷に立つ覚悟あるのか」という発言があった。そのせいもあってか、スパコン予算は復活したようだが、当該事業に対して、著者は次のように述べる。

「要するに、これはスパコンの名を借りた公共事業であり、世界市場で敗退したITゼネコンが税金を食い物にして生き延びるためのプロジェクトなのだ。米政府がスパコンを国家プロジェクトでつくるのは、軍事用だから当然である。しかし京速計算機で目的としてあげられているような一般的な科学技術計算に国費を投じる意味はない。むしろ東工大TSUBAME(わずか20億円で、性能は地球シミュレータを上回った)のように、各研究機関がその目的に合わせて中規模の並列計算機を借りればよいのである。」(193頁)

しかしそれでは、この分野での発展が将来ありえないということになるのではないか、という心配の声も出て来るだろう。
著者の言い分は、将来の発展の方向性としてそもそも間違っているのだから、そういうものにお金を出すことは無駄でしかないということだ。
しかし、その(著者からみれば)「無駄なもの」が仕分けによってもなお生き残る。もちろん、それは箱物公共事業というだけでない「科学技術」というお墨付きによってだが、問題は、そこに真の問題に向き合わない構造があるということだ。
経産省の「情報大航海プロジェクト」に関して、著書は次のように述べる。

「・・大航海プロジェクトのように与えられた目的[グーグルを越える検索エンジンの開発]に向かって企業を育てるという発想だと、みんなの力を総動員してグーグルに対抗しようという話になる。プロジェクトが失敗することは許されず、そのリスクも想定されていない。全員が無限責任を負っている結果、誰も失敗の責任は問わない。通産省のやった「大型プロジェクト」の大部分は失敗だったが、その事後評価さえほとんどされていない。」(196頁)

かつて丸山眞男が分析した日本軍国主義の姿と重なるところが興味深いし、またその問題の深さを感じさせる。
だからこそ、本書の扱う問題は、経済を超えて、政治に向かう。

「戦後の日本は、高い成長が持続し、競争力の高い製造業が創造した富を再分配することが政治の役割だった。官僚機構の権力の源泉も、この再分配の裁量にあった。しかしこの構造は90年代以降、決定的にかわった。・・この状況で昔ながらの「分配の政治」を続けると、将来世代から現在世代への所得移転を行なう結果になる。日本の若者の閉塞感の原因になっているのは、このように高度成長の果実を食い逃げしようとする団塊世代への不信感だろう。」(242頁)

問題を直視できれば、解決の方策もみえてくる。

「長期停滞の根源には、本書で見たきたような・・将来への不安がある。これを払拭するには、すべての人にチャンスがあり、努力すれば報われるという希望を取り戻し、活気のある社会にしなければならない。
そのためには巨額の財政支出は必要なく、戦後ずっと続いてきた産業構造を見直し、資本市場や労働市場を柔軟に機能させて硬直化した資源配分を是正する規制改革と制度設計が重要である。それには古い産業構造を政治が支えてきたシステムを見直して既得権を撤廃し、非効率な企業を淘汰する市場の機能を生かさなければならない。「弱者」を救済するシステムも、現在のような非効率で不公平な福祉政策ではなく、負の所得税のような透明な制度に変えなければ、遠からず持続不可能になる。」(242-3頁)

著者の経済政策についての見解には、異論もありえよう。
しかし重要なことは、異論の格闘を通して、問題に向き合っていくこと。そのための政治の機能を高めることだ。本書は、そのために多くの示唆を提供している。