コミュニティ

ジェラード・デランティ『コミュニティ─グローバル化と社会理論の変容』山之内靖・伊藤茂訳、NTT出版、2006年(原著、2003年)


前回紹介した「地域創成リーダーセミナー」の第2回(セミナーとしては第1回)が、一昨日の土曜日に行われた。今回のセミナーは、社会福祉を専門とする熊本学園大学の豊田謙二先生に、セミナーを率いる九州大学法学研究院の石田正治先生が問いかけるというトーク形式で進行した。
テーマは「若者の仕事」。
豊田先生はまず児童虐待の事例を話ながら、現在の社会福祉学では、施設に入れてしまえばよいという考えではなく、一人一人に対する適切なケアが課題となっているという。(以下の文章はセミナーのメモからから。括弧内は私の補足。)

ひるがえって今の日本社会は、家族や地域などのコミュニティが弱体化して一人一人がケアされない社会になっており、そのために、特に若者が「壊されている」。若者には仕事が少なくなり、大切にされるということも少なくなった。
人間関係が弱く、仕事がなく、お金もなければ、家にいるほかない。こうした社会の問題が「引きこもり」につながっている。
この問題には個人では対応できない。社会的援助が必要。また、これら年金や国民保険も支払えぬ若者が高齢化していったときのことを考えるならば、社会的支援によって、現在の生活から抜け出る出口を用意しなければならない。(ところが現状は「敗者」に責任を押し付ける議論や意識がまだまだ強いのではないだろうか。)
例えばドイツでは、人間関係を築けるようにカフェをつくる、社会的扶助を与えるのと同時にボランティアへの参画を義務づける、などの対策がとられている。
しかし、こうした中でも最も重要なのが、若者に仕事を用意するということ。
では、いかに仕事を用意するのか。
(これについては、どこでも効く特効薬はなく、それぞれの地域や状況によって対応策は異なるだろう。講師陣は参加者に意見を述べてもらった上で、それぞれに考えてもらうためのヒントを提供した。特に重要だと感じたのは以下のこと。)
現在の日本では低収入が貧困につながっているが、しかし、世界を見渡せば日本より低収入でも貧困にはつながっていない地域がたくさんある。何が違うのか。
低収入が貧困につながるのは、低収入の人間が「身体だけのむきだしの生」に陥っているから。つまり、個人の身体を拡大し保護する私財や人間関係が細っているから。
この部分に社会的資源を投入し、個々人にそったケアをしていかなければならないだろう。

セミナーの後は、茶話会。午後1時半からおよそ5時半まで、濃密な4時間だった。


前回、久繁哲之介氏の『地域再生の罠』という本を紹介したとき、最後に「心」という言葉をとりあげたが、これは誤解を与えたかもしれない。
かつて存在した人間と人間のコミュニティ的なつながりを復興しましょう、という意味で受けとられたならば、それは誤解だ。
そのようなコミュニティ的な人間関係というのは、幻想だろう。
そうではなく、それぞれの人間が現場においてどのように生きているのかについて、もう少しリアルな認識に基づいてものを考えるようにしよう、ということを言いたかった。

冒頭にあげたジェラード・デランティ著『コミュニティ』。「訳者解説」によると、原書裏表紙には次のような紹介の文章があるという。

「近代社会がますます個人主義へと傾斜してゆくについて、コミュニティは、ますます不確実さをましてゆく世界のただなかで安全性と帰属を与える源泉となったのであり、郷愁をさそう理念であり続けた。そして最近では、政治の基盤である国家の代替物と見られるようになっている。コミュニティは消滅するとかつて言われたことがあったが、まったくそうではない。コミュニティはグローバリゼーションが進み、個人主義が進むにつれて、復活している。」(286頁)

私もその一端にかかわらせてもらっているセミナーも、このような意味の地域コミュニティの「復活」に関わるものである。
もっとも、訳者が解説しているように、上の文章中の「近代社会がますます個人主義へと傾斜してゆく」というのは、実態とは異なるだろう。訳者が指摘するように、コミュニティの再評価は、70年代以降の欧米日における経済成長率の低下による福祉国家体制の機能不全を背景としている。デランティは実際、こうしたモダンの社会の行き詰まりのなかでコミュニティを考えている。
訳者によれば、『コミュニティ』において著者デランティが描こうとするのは、

「伝統的遺産としてのコミュニティではない。デランティのいうコミュニティとは、グローバリゼーションの時代において新たに「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)として再発見され、まったく新たな質をもって復活してくるものを指しているのである。」(290頁)

デランティ自身の言葉を引用しておこう。

「今日のコミュニティはモダニティの産物であって、前近代の伝統的世界の産物ではない。それは、個人主義、復元力、一定の柔軟性を前提としている。このことにより、コミュニティ形成の際の自己と他者の境界線はさほど重要でなくなる。伝統的コミュニティが存在するのと同様に、脱伝統的な形態のコミュニティも存在するのである。
簡単に言うと、個々人は社会的な力によってのみコミュニティの中に位置づけられるのではなく……自らをコミュニティの中に位置づけるのである。コミュニティを区別するのは象徴的な意味の力ではなく、想像力であり、自己が自らを再生する能力である。」(264-265頁)

象徴的な意味の力がコミュニティを境界づける・コミュニティを維持する作用に関わるのに対して、想像力はコミュニティを創造する作用に関わる。
デランティは、伝統的なコミュニティが象徴的な意味によって静態的に境界づけられていたのに対して、現代のコミュニティは動態的に想像=創造されるのであり、したがって従来のような象徴的な意味による安定的な維持は困難であるという。

「こうしたコミュニティの想像的な側面は、コミュニティの不可能性を示唆している。コミュニティは人々に対し、社会によっても国家によっても提供され得ないものを、すなわち、不安定な世界における帰属感覚を提供する。しかし、コミュニティはまた、究極の目的が不可能であることを明らかにすることで、これを破壊もする。こうした新たなコミュニティは、それ自体すでに、より大規模な社会と同様、断片化・多元化しすぎていて、永続的な帰属の形態を提供することはできない。」(267頁)

デランティは、したがって、コミュニティを社会の基盤とみなす考え方を否定する。もしもそれを社会的な基盤とみなすならば、そのようなコミュニティ思想は、

「ヘルムート・プレスナーがコミュニティという発想に対する古典的な批判の中で論じているように、全体主義的権力のイデオロギーになる可能性もある。」(267頁)

日本では、1930年代の日本主義・農本主義アジア主義にそのようなコミュニティ主義がみられたのは、よく知られている通りだ。
現代において地域に関わる者がこのような陥穽にはまらないためには、あくまで現代的な条件の認識を基盤とし、勝手な空想を楽しむのではなくて、どこまでもリアルな認識にこだわる必要があるだろう。
そして、そのリアルな認識をコミュニティの想像=創造につなげること。「むきだしの生」を人間関係によって豊かにしていくという発想は、私にとって、そのためのヒントになったように感じた。

地域再生の罠

久繁哲之介『地域再生の罠』ちくま新書、2010年


昨年から、福岡県筑豊地区で地域創成に携わっている指導者のためのセミナーに関わるようになった(「地域創成リーダーセミナーin福岡」)。
このセミナーは今年で三年目を迎える。本年度は昨日10月2日からスタートした。来年2月まで続く全10回ほどの講演やワークショップを通して、筑豊地域で活動する人々に、地域の創成や地域リーダーとしての生き方についての考え方を紹介・提示し、それを活用するための実践的な機会を提供する、というのがセミナーの趣旨だ。
自分の専門とはだいぶかけ離れている仕事だが、地域の現場で問題に取り組んでいる人の経験に耳を傾けては、現状を変えていくために自分に何ができるのだろうかと考えるようになった。
冒頭に挙げたのは、そうした関心から手にした本の中の、最近の収穫。「地域再生プランナー」として地域の現場に精通している著者の言葉は、きわめてリアリティに富んでいる。

地域再生に関する現状の問題点を、著者は次のように整理する。

「まず、論点をわかりやすくするために、「地域再生関係者」「土建工学者」「自治体」という3者の視点から問題の所在を整理してみよう。

地域再生関係者
(1)大型商業施設に依存し、大都市への憧れが高い。すなわち、地域に「ないもの」をねだり、経済的な豊かさばかり求める。その結果、地域資源や心の豊かさを見失う。
(2)経済的欲望の高さから、成功事例などハウツー論に飛びつく。

土建工学者
(3)地域再生関係者に成功事例の摸倣を推奨する。だが、その多くが「実は成功していない」し、稀にある成功事例は、市民のニーズや価値観とは違う「遠い過去か異国」のものである。
(4)自らの理想とする都市政策や器を先に造り、市民がそれに合わせることを強要する。

自治
(5)専門家の上から目線による「成功事例」に価値を置き、市民目線と顧客志向に欠ける。
(6)前例主義で、「実は成功していない」前例を踏襲して、地域を衰退させる。
(7)縦割り主義で、各組織は連携せず、各組織の目的だけを叶える、効果の出ない施策をつくる。しかも、他組織との整合性に欠けて弊害を生む。その結果、地域は疲弊する。」(162-163頁)

見解の一つ一つは既に言われてきたことかもしれない。しかし、事例に則した著者の整理はわかりやすい。
それでは、このような問題を解決して地域を活性化・再生するにはどうすればいいのか。
鍵は「人の心」にあると著者は言う。「葉っぱビジネス」で有名な徳島県上勝町の事例を紹介しながら、著者は次のように述べる。

上勝町の葉っぱビジネスは、なぜ持続的に成長しているのか。その本質的な要因には気が付きにくい。仮に、その本質に気がついたとしても、横石さんの献身的な努力は誰にも真似できないものだ。
横石さんは『そうだ、葉っぱを売ろう!』(ソフトバンククリエイティブ、2007年)を刊行した。30年近い上勝町での生活を自伝的にまとめた本書を読むと、葉っぱビジネスが持続的に成長しているのは、町の高齢者達と横石さんとの強い絆があったからこそだと感じられる。その絆は、横石さんの想像を絶する献身的な努力の積み重ねから生まれたこともわかる。つまり、上勝町の葉っぱビジネスは、決して摸倣がたやすい代物ではない。摸倣が困難であるにもかかわらず、葉っぱビジネスが成功した事例だけを見て、第三者に摸倣を推奨するのはあまりに無責任というものであろう。」(168頁)

ところが、この「無責任」が日本を覆っている。自分ではできないことを立案し、押し付けてくる人がいかに多いことか。問題は切実なのに、その切実さに直面していない人々が、組織の存在証明のためのような仕事で事を済ませている。

「人に優しい都市づくりを主張してやまない土建工学者たちが、人より自動車交通を優先して路面電車廃線した岐阜市を「住みよい街ベスト50」に選出する矛盾を前章で指摘した。この矛盾は、街中居住を推奨する土建工学者の多くが、自らは大都市の「郊外」に住居を構えていることを示してもいる。何をするにも便利な郊外に住む彼らは、路面電車という公共交通を失った地方都市の街中に住まうことの苦労を想像できないのであろう。
にもかかわらず、地方都市の都市再生施策には、公共施設や住宅などを十把一絡げにして街中に集約することを、あたかも他人事のように提案する。自らの生き方に裏づけられていない彼らの提案には、「他者の心や文化を慮る心性」が著しく欠けているように思えてならない。」(170頁)

著者は特に土建工学者を厳しく批判するが、もちろん問題は彼らだけには留まらない。土建工学者の提案を利用して、予算を獲得することが仕事になっている人々もいるだろう。実際、そうした予算がなければ生活がもたない状況にある人々も多い。
問題は、投入される貴重な資源が全体の利益につながるような回路が寸断されていること。だから、問題の解決には資源投入される部門が全体の利益を生み出すような回路を発見することが重要だ。
ところが、現実にはなかなかそれが見つからない。実際、利益を量るための技法を私たちは多数もっているが、しかしそれらは、特定の枠組みでのみ計算可能なものでしかない。
全体の利益を実感するできるような枠組み自体が揺らぎ、「全体の利益」を騙る部分的な利害による施策に、国民の多くは冷めた視線をなげるばかり。投げやりへと誘う無力感、とめどないニヒリズムが進行する。
私たちが必要としているのは、このような社会を覆う無力感やニヒリズムを克服する思想の言葉であるが、本書の価値は、そのための言葉を著者自身の体験のなかから生み出している点にある。
著者は、義母とのエピソードを次のように記している。

「・・[義母の経営する]「甘党たむら」は被爆を知る先代創業者の「市民が気軽に喉の渇きを癒し、ゆっくり休める場を提供したい」との想いから昭和23年に開業され、顧客から感謝を伝えられると、義理母は次のように感じるという。
「店が愛され、顧客から感謝を伝えられると、自分も愛されているようで毎日が幸せだ。顧客も私も幸せ、こんな素敵なことはない」
・・・
・・私は結婚してから年に1〜2回ほど広島に帰省して、「甘党たむら」店内の「表面」しか見ていなかった。そして、身内である飲食店の「私益」をあげることばかり考えていた。私はそんな浅はかな視点から「製造原価が100円近い二重焼きと日本茶140円セットの適正販売価格は3倍」と自信をもってアドバイスした。
自信の根拠は、当時の私はIBMのマーケティングでそれなりの実績をあげていたことにある。私は会社でビジネスと同じ「論理的な手法」で適正販売価格を導いた。具体的には次の「販売価格決定要素」をしっかりと調査・計算した。すなわち、不動産価格、製造原価、顧客回転率、人件費、同業店舗販売価格などである。
・・・
・・・義理母はビジネスを学んだ経験などない。だから私が「顧客回転率」などといっても、話は通じない。しかし、「顧客が1時間以上もいるのは顧客回転率が悪く、値上げが必要」という私の提案には自信をもって次のように反論した。
「それは、なんとか回転率が悪いのではなく、顧客が居心地よく幸せを感じている。幸せを感じてくれるから、後に何度も来てくれるし知人も連れてきてくれる」
さて読者の皆様は、義理母と私のどちらが「正しい」と思うだろうか。」(199-201頁)

徳島県上勝町の「葉っぱビジネス」も、著者の義母の店「甘党たむら」も、それを支えているのは「心」だ。地域も、地域を支える個々のお店も、それが実際に人々を集め、一つの事業として継続的に営まれるには、人々の「心」をつかまなければならない。様々な地域を実際に見た上で語る著者の言葉に、私は何も付け加える必要を感じない。
私は、ひどく古めかしい思想を過大評価しているのかもしれない。しかし、私たちの社会は、それをあまりに過小評価しているのではないだろうか。あるいは、国の官僚も、自治体の役人も、あるいは大学の教員も、駅前の一軒の甘味屋よりも狭い範囲の人々の「心」しか考えられなくなっているのではないか、というべきかもしれない。
「地域」とは、このように狭い関係者の「心」しか慮ることのできなくなった専門家が、専門の枠を超えてものを考える訓練の場でもある。
本書は、その訓練のためのよき案内書の一冊であり、著者が提案する(本ブログでは紹介できなかった)ビジョンと提言は、地域再生を考えるためのヒントを提供するだろう。

ヒンドゥー教の人間学

マドレーヌ・ビアルドー『ヒンドゥー教の<人間学>』講談社、2010年(原著旧版1981年、新版1995年)


前期の途中からこのブログを書くことどころか、見ることさえできなくなりました。
毎年毎年、坂を転がり落ちる雪だるまのように仕事が増えていくのを感じます。でも、これはおそらく眼の前の事柄にとらわれた錯覚。目の前のものを超えてさらにその先を見透すことのできるようなパースペクティブをもつことができるならば、目の前のことに振り回される度合いも減るだろう、と考えるようにしているのですが・・・なかなか思うようにはいきません。

久しぶりにこのページを書き始めたら、10年前の今日、今の勤め先に赴任したことを思い出しました。
何度も応募をはねられ、なんとか今の勤め先に採用してもらい、東京のアパートを引き払って、まだ新しい公務員合同宿舎に入居。少し離れたところにあるダイエーで、大学に通うためにと自転車を買いました。
ダイエーの店内では、その年ペナントを制したダイエー・ホークスの応援歌が「ダイエー・ホークス」の名を何度も何度も繰り返していました。
赴任したころの国立大学は、その後、国立大学法人に変わり、キャンパスは街中から郊外に移転しました。御世話になった先輩同僚が定年や異動で大学を去り、以前は先輩方から事情を聴く一方であった自分が、いつの間にか事情を説明する側にまわるようになりました。
事情により、公務員宿舎を引き払い、新しい住み処を探して、引越もしました。

変わらぬことといえば、精一杯やっているつもりの授業の後の、何を学生に伝えられたのだろうかという不確かな思いぐらいです。
自分がたしかに生きてきた人生であるはずなのに、自分の人生でないように感じられます。

「インドの歴史は、インドが好むと好まざるとにかかわらず、一つの歴史として存在してきた。その伝統的思考では、世界でのものごとが実際に起きたままに理解させるものはない。人ははじめから、宇宙の秩序を維持するものとしてのみ概念化されている。地上における人の生は全般的に、人智を越えた、予め与えられた特定の目的にのみ向けられている。・・・人に意味を与えるのは宇宙であって、その逆ではない。したがって、この人間学に結びつくのは、解脱者以外がすべて永遠へと回帰する周期的な時間の概念である。世界の終焉は何はともあれ訪れる。しかし、それは一時的なものにすぎない。このことは神性の次元において、外向きの行動に対する、ヨーガの集中の優位性を示している。同時に、宇宙のリズムの永続性が明示的に意味するのは、この世に生きる人はさしたる理由はなくてもそこにしがらみを持つということだ。」(231-232頁)

このしがらみを去るために、ヒンドゥー教では宇宙万物との合一を教える。
これは、歴史のなかで価値あるものを生み出すことに人生の目的を認める世界観と異なる。

「現代西洋の理念を全般的に構成するものに対して、これほど真向から対立するものがあるだろうか。西洋の意識は暗に、人生と行動は意味があるものとして、そしてまた、世界はそれが参加する特別の歴史を持つべきものとして要求する。しかし、この要求は、インドの観点からは逆に神話として映るのだ。ヒンドゥー教の見方が神話的であるのと同様に、恐らくこれも神話的であるのだろう。しかし、我々の眼には、西洋の見方は人間の差し迫った問題(多くは自分たちで作り出した問題)の解決策を探すのに役立つという利点を持つように思われるのである。・・・逆にまた、キリスト教に負った現代の観念の中で、西洋における個人の「救済」とは、生死によって限定された人生に何らかの意味を与えることでしかないのだとも我々は感じる。」(232頁)

この10年をふり返って感じる、不確かな曖昧な感覚というのは、おそらく、「キリスト教に負った現代的な観念」から生じるものなのだろう。
まだ死によって限定はされていないけれども、しかし必ずや死によって限定される自己の生に、何らかの意味を与えるようなことが困難であるということだけは、予感できる。

ビアルドーからの引用は、旧版のあとがきより。

アウシュヴィッツ以後の神

ハンス・ヨーナス『アウシュヴィッツ以後の神』品川哲彦訳、法政大学出版局、2009年


イスラエルの神は熱情の神である。イスラエルを愛する民として選んだ神は、イスラエルの民の不忠実に対して責めを与え、預言者を遣わして神への復帰をよびかける。旧約聖書のメイン・テーマだ。
ところが、イスラエルの民が忠実となると、神による責めの原因は民の不忠実によっては説明できなくなる。新たな説明は、証人あるいは殉教者という観念にうつることになる。これは「最も罪のない正しい人びとこそが最もひどい禍悪をこうむる」(7頁)というもの。ユダヤ独立闘争を戦ったマカベア朝の時代(紀元前1〜2世紀)に作り出された考え方である。
ユダヤ人に対する迫害は中世ヨーロッパで何度も繰り返された。迫害や弾圧の犠牲者は、「「聞け、イスラエル」、つまり、神はただ一なりという告白を口にして死んで」(7頁)いったという。死んでいったものは、聖人とよばれ、「かれらが犠牲になることで、約束の光が輝きました。すなわち、来たるべきメシアによる最終的な救済の約束の光が輝きました」(同上)。
しかし、アウシュヴィッツは全く違った死をユダヤ人にもたらした。不信仰に対する責めによっても、正しき者の殉教によっても、説明のできない死。

アウシュヴィッツという名をもつできごとからは、もはや、こうしたことのどれもがぬけおちています。忠実ということもなければ、忠実でないということもない。信仰もなければ不信仰もない。罪も罰もない。試練もなければ証言もなく、救いの希望もない。強さもなければ弱さもなく、英雄的行為もなければ臆病な行動もない。反抗もなければ服従もない。そんなものはどれもその場をえなかったのです。そのどれもがアウシュヴィッツのあずかり知らぬことです。アウシュヴィッツがあずかり知っていることは無だけであり、その無は未成年のこどもたちすらむさぼり、飲み込みました。」(7頁)

神は善であり、また全能のはずだ。それなのに、苦難を与える神、あるいは苦難を許す神とは何なのか。これは、旧約聖書ヨブ記(正しい人ヨブに苦難を課す神ヤハウェの正当性とは何か)の主題に通じる問いである。
もちろん、神への信仰を否定するのならば、このような問いはもはや問題とはならない。しかし、

「神の概念をたやすく捨て去ろうとはしない者は──哲学者にもその権利はあります──、神の概念を放棄せずともよいように、神についてあらためて熟考し、ヨブをめぐる問いに新たな答えをさがさなくてはなりません。そのとき、それを試みる者は、<歴史を支配する者>[としての神という観念]をたぶん手放さなければならなくなるでしょう。すると──いかなる神がそれを起こるにまかせることができたのでしょうか。」(9頁)

この問題を考えるためにヨーナスは、ミュートス(神話)へと遡る。ミュートスとは、「プラトンが、知りうるものの彼岸の領域にたいして用いるのをゆるしたあの比喩的な、けれども信頼しうる推測を講じるという手段」(9頁)である。

「まず初めに、あずかり知ることのできない選択にもとづいて、存在の根拠である神的なものは、みずからを偶然と敢為と無限に多様なる生成へとゆだねました。しかも、そっくりまるごとゆだねました。神的なものは、空間と時間のなかでくりひろげられる冒険に突入したわけです。」(10頁)

このミュートスから、ヨーナスは「神の世界内存在」を語る。このミュートスが語るのは、世界を統べ治める超越的な神ではない。神は自らを世界の創造へと投げ入れたのである。そこでは、「世界は世界自身にゆだねられたものとしてみえ」、「世界の法則はいかなる干渉もゆるさぬものにみえてくる」(10頁)。
「世界内存在」としての神は、主権的な支配者というよりも、世界の無限の多様と偶然に身をまかせたものである。しかし、そこから「超越がおずおずとその姿を現わして」(11頁)くる。

「最初の動きは生命への志向です。それは世界にとって新しいことばでした。生命とともに、永遠の領域への関心が法外に高まり、生命の成長するなかで突如として、自分の身を作る質量を獲得しなおすという飛躍が生じました。」(11頁)

神的なものは、自ら世界に投げ出したものを、生命において取り戻す。しかしながら、「生命とともに死も現われ」(12頁)た。

「死ぬことがありうるということは、自力で存在するという新たな可能性を手に入れるために支払わなければならなかった代償です。・・・生命は本質的に取り消されうる、壊れうる存在です。生命とは、死すべきものの冒険にほかなりません。・・・有限な個体が感受したり、行為したり、受苦したりするのは短いあいだのことですが、しかし、それらは生が有限であるという抑圧のもとでせつないまでに痛切に感覚されます。そのなかに神的なるものの作り出した景色がいろどりゆたかにくりひろげられ、神的なるものはそこに自分自身を経験します・・・。」(12頁)

「神の世界内存在」のミュートスは、さらに人間の到来という画期を語る。

「人間の到来は知と自由が到来したということにほかなりません。知と自由というきわめて鋭利な両刃の天分を授かったことで、ただひたすら自己を充実してきた主体の無垢は終わり、善と悪とが分かれ、そのもとで責任という課題が登場します。神の仕事はここで初めて明らかになりますが、これから先は、人間の次元で進められる遂行の機会と危険とに、神の仕事がゆだねられたのです。」(14頁)

「人間の出現とともに、超越はみずからに目覚め」(14頁)た。しかし、それは、全能の力をふるって人間を支配する超越神ではない。
仮説的ミュートスによる思考のはて、ヨーナスは、神について次のように述べる。

「さて以上から、私たちが果敢に進めてきた思弁神学の試みのなかでおそらくは最も決定的な点に到達します。すなわち、この神は全能の神ではありません!」(20頁)

そして、アウシュヴィッツについてヨーナスは次のようにいう。

アウシュヴィッツが猛威をふるった数年間、神は沈黙しました。起きた奇跡は人間から到来したものばかりです。救うために、苦境を減じるために、いやそれどころか、事態が変わらないならイスラエルの運命を共有するためには、どんな犠牲もいとわない、さまざまな民族からなる、たいていは名も知られていない、あの義しき人びとの行いによってです。・・神は沈黙しました。そこで、私はこういいます。神はそれを欲したからではなくて、そうできなかったから、介入しなかったのだ、と。」(25頁)

このような、命を救うことも出来ぬ神を、何故信じ続けることができるのだろうか。
ヨーナスは、自らの思考が、「古くからあるユダヤの教えからはるかに遠ざかったところ」(25頁)にあることを認めながら、しかしそれでも神への信仰を失わずに次のように語る。

「悪を説明するために、マニ教の二元論をわずらわせることはありません。悪が立ち上がり、世界のなかで力を獲得するのは、ただ人間の心からのみ起こることだからです。神が力を断念したのは、ひとえに人間の自由をゆるすためです。私たちは・・神の全能を否定しました。理論的には、そこから次のいずれをとるか、選択の余地があります。最初から、神学的ないし存在論的な二元論をとるか、それとも、唯一の神が無からの創造をつうじてみずから制限するか、いずれかです。」(26頁)

ヨーナスは、アウシュヴィッツ以後の神を思考して、自己抑制する神と人間の自由という観念にたどりつく。全能の神への信頼ではない、自らを抑制する神への信仰は、人間の使命を次のように表現する。

「神は生成する世界のなかに自分をそっくりまるごと与えてしまったのですから、神にはもはや与えるべきものはありません。いまや、人間のほうが神に与えなくてはなりません。人間がこのことをなしうるのは、神がこの世界を生成させたのを悔いなくてはならないようなことが起こらぬように、せめてもそう頻繁には起こらぬようにと、人間がその生の途上において、しかも人間自身のためにではなしに、気をつけることによってのみです。」(28頁)

本書カバーの著者紹介によれば、ハンス・ヨーナスは1903年、ドイツの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。学生時代にシオニズム運動に参加。ハイデガー、ブルトマンのもとでグノーシス思想(神学的二元論の立場を取るキリスト教の異端思想)を研究。ナチスの政権掌握の年にドイツを出国し、イギリスを経てパレスチナに移住。第二次世界大戦はイギリス軍に志願し、戦後はパレスチナ戦争に従軍。その後、イスラエルを出てアメリカ合衆国にわたり、ニュー・スクール・フォー・ソーシャルリサーチ校の教授を務めた。1993年に死去。上に紹介したのは、「アウシュヴィッツ以後の神─ユダヤの声」。1984年に受賞したレオポルド・ルーカス博士賞受賞の際の記念講演である。
ところで、ミュートスを用いるような議論にいかなる意味があるといえるのだろうか。
訳者の品川哲彦氏によれば、「特定の存在論形而上学を前提にしている」ヨーナスは、ドイツでは「人間同士の合意にこそ倫理を基礎づける討議倫理学者からの厳しい批判にさらされ」、またその存在論形而上学のためにアメリカでも受容されない、という(198頁)。
ここで考えたいことは、合意形成につとめる当の人間の思考は、何によって深められるのか、ということである。価値の多元性を認め、それらのあいだの合意を重視する姿勢はたしかに重要である。しかし、多元性と合意という形式を尊重する文化のなかで、いかにして人は、他者への責任を自ら引き受けるような存在に成長しうるのだろうか。
ミュートス(神話)とは、知りうるものの彼岸にあり、したがって実証主義者からは無意味なものとみなされるけれども、人間が自らの内面を問い成長してゆくためには、必要不可欠の参照枠組みなのではないか、と思うのだ。

永遠のとなり

白石一文『永遠のとなり』文春文庫、2010年


何回か取り上げたことのある白石一文(2009年9月7日、9日)の、2007年に出た十冊目の作品である。
昭和三三年生まれの主人公とその友人の物語。田舎から東京の大学に出て就職し、それなりの仕事をして、さてこれからという矢先に、それぞれ人生に躓き、やむなく故郷に戻る。
取り返しの付かない年頃にさしかかった人間の姿が、たんたんと描かれている。
舞台は福岡。博多弁が心地良い。

「何でやろなぁ」
あっちゃんが呟く。
「ほんと、何でわし東京なんか行ったんやろうなあ」
その言葉に、自問自答してみる。あの十八歳の頃、どうして東京に出ようと思ったのだろうか。五十間近まで生きてみると、当時の自分の選択に大した根拠などあるはずのなかったことがよく分かる。
「東京なんて行かんでもよかったなあ」
そう口にしたのは私の方だった。
「そうかもしれんねえ」
あっちゃんがすぐに応じた。 (115-116頁)

あっちゃんは、幼いころに両親が離婚。母子家庭の貧困の中で育ち、母に報いたいという一心で、一橋大学を経て、大手都銀に入社。母を呼び寄せてこれから孝行をしようというときに、母を失う。入社三年目で銀行勤めに見切りを付け独立したが、四十歳のときに肺癌がみつかり、事務所を閉めて、博多に戻る。
主人公のせいちゃんは、あっちゃんと同級生。早稲田大学に入学し、損保会社に入社。務めている会社が業界首位の大手と合併後、人員整理の嵐のなかで大切にしていた部下を失い、うつ病を発症。早期退職制度で退職して、博多に戻る。

上に引用した会話の直前にはこんな話が交わされる。

こうして見ると博多という町は、なだらかな山々と穏やかな入り江に守られた風光明媚な土地柄である。
「この町はきれかねー」
思わず口に出して言っていた。
「わしも九年前に帰って来てつくづく思ったと。なんも東京の大学なんか行かんでさ、おとなしく九大に行って、地元で就職しときゃほんとによかったねって。そしたらかあちゃんもずっとこっちにおられたし、あげん早く死なせんですんだかもしれん」
昨日尋子さんの葬儀に一緒に出かけたばかりだから、あっちゃんの言葉により一層の真実味を覚えてしまう。 (114頁)

作品の主題は、死である。
現代の日本人の多くが、夢を描いて、東京に出、仕事をし、結婚し、こどもを授かり、会社や家庭のことで喜び、悩み、そしていずれ、死んでいく。
こんな人生にどんな意味があるというのだろうか。
何ごとかを成し遂げることに意味があるとされ、何ごとかを成し遂げたかのように自分の人生をふり返る。
しかし、二人は、そうした幻想に頼ることはできない。
精一杯、真面目に頑張りながら、何故こんな人生になるのか。若ければ、なにかしら取り返すこともできるかもしれない。しかし、いつの間にか引き返すことのできない歳を迎えているのだ。

「・・・わしは最近、大事なんは生きとるちゅうことだけで、幸せなんてグリコのおまけみたいなもんやと思うとる。あった方がよかけどないならないでも別に構わんとよ。・・・」(213頁)

著者は、主人公にこんな言葉を語らせる。
主人公の言葉は、意味を求めることによっては救われない人間の、突き抜けた認識を語る。しかし、それは、醒めた眼による透徹とした認識というわけではない。
大切な友人を失うかもしれない恐怖、崩壊した家族の経済的負担だけを負わされかねない不安、仕事がない・仕事ができない自分のこぼれ落ちる砂のような存在感が、主人公にとりついているはずなのだ。それなのに、作品全体を支配しているのは、むしろ静けさである。
それは、苦悩そのものではなく、その苦悩を抱えた人間を取り巻く光景が、街が、言葉が、この土地に住む人間の厚みが、この作品を支えているからだろう。
生きるということは、そうした支え合いの現実そのものであり、そこに意味など見つける必要もなく、ただあるだけのものかもしれない、と思った。

レディ・ジョーカー

高村薫レディ・ジョーカー新潮文庫、2010年(毎日新聞社、1997年、の全面改訂版)


連休、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
私は、一つだけイベントがありましたが、それ以外はどこにも出かけずに、たんたんと過ごしています。
よい休暇をお過ごしになりますように。

さて・・・。
4月に入って新学期の準備やら何やら慌ただしく過ごしていたが、その合間を縫って、文庫化されたばかりの宮部みゆきの『楽園』と高村薫の『レディ・ジョーカー』を読んだ。
誰かがどこかで書いていたが、宮部作品のよさは、登場人物の「けなげさ」だと思う。人物の振る舞いや言葉遣い等の丹念な描写によって、登場人物の性格が描かれる。作者が大切にしたいと考えるものが、比較的ストレートに表現される。例えば、『楽園』で言えば、物語の端緒となる依頼主・萩谷敏子。この作品は決して宮部作品として最上の部類に入るものではないと思うが、登場人物への共感から、作品に付き添ってしまう。

高村薫は、実は『マークスの山』を単行本ヴァージョンで読んだことがあるだけだ。だから、あまりはっきりと言うことはできないのだが、宮部作品と較べて印象に残ったのは、人間の性格よりも、それの背負っているものに対する関心が強い、ということ。もちろん、性格も人間に負わされたものの一つだろう。しかし、高村作品の登場人物に負わされているものは、自分ではどうしようもない何ものかだ。しかも、その何ものかを精一杯背負って仕事をしたからといって、誰かに評価されるわけでも、あるいは幸せな結末にたどりつけるわけでもない。
たしかに人生とは、そんなものではないか、と思う。しかしながら、高村作品は、不条理で捉えがたい闇のような現実ばかりを描くわけではない。いな、むしろ、そのような背負わされたものに翻弄され、脅かされ、宙づりにされながら、しかしその事態を受け止め、手がかりを求め、自問し内省しながら、先に進んでいく人間の姿が描かれている。登場人物はそれぞれの状況の中で格闘しながら、自らの置かれた状況を認識し、自分を発見していく。
社長の城山と、刑事の合田に語らせた言葉が、印象に残った。

「それにしても城山はいま、この二十数年のうちでもっとも注意深く、ただひたすら目の前の一人の女性を眺めている自分に気づき、驚きを新たにし続けていた。この娘が幼かったころから、ずいぶん楽しませてもらい、明るい気分にさせてもらったが、そのころ自分がどれほど真剣にこの顔を見ていたか。だいいち自分は、五十八年の人生で人の顔をこんなふうにじっと見つめたことが一度でもあったか。一度もなかったというのが真実だった。なにしろ五年前、この自分は佳子に結婚を考えるほどの恋人がいることにも気づかず、その恋人が不幸な死を遂げたと知ったときに、その胸中をほとんど推し量ることもなかったのだ。
そうして、人間に対するこの恐るべき傲慢と無関心が、一連の事件を引き寄せた根源かも知れないと思い至ったとき、城山自身は初めて、今日の成り行きのすべてを、ある意味で納得することになった。事件の原因を作ったのは佳子ではなく、まさにこの自分自身だった…」(下巻、74頁)

作家は、おそらく力を込めて「人間に対するこの恐るべき傲慢と無関心」と書いている。
もう一つ。合田が自分の属する警察組織について自問する場面。

「四万人もの人間が構成する組織は、だから素朴に四万の思いと欲望の集合体だということにはならない。組織とはたんなる空集合で、そこに含まれる個々の構成員が完全に演算可能な記号であるときに集合も完全なのだとすると、この観念上の組織は、自分たちが日ごろ考えている組織とは別ものであるほかない。しかしまた、構成員が全員記号になるような組織は現実にはあり得ず、構成員はみなそれぞれ人間をやめることはない。自分たちは組織という集合になんとなく人間の欲望の足し算や引き算を見、非合理を見、嘆息し、絶望し、そうすることで仮想の構成員を生きているだけなのだ。そして、ときにはそれに自分で押しつぶされ、あるいは押しつぶされる前に自死を選ぶよう自らを追い込んでゆくのだが、本来の組織から見れば、そういう自分たちの思いのすべてが幻想であり、組織の論理や、それへの自負や執着もまた幻想だろう。
否、この幻想はただの幻想ではない。ありもしない幻想の集合に対して、ときに三好のようになにがしかの抗議の声を上げる者がいるのは、まさに自らが人間として生きるためにほかならないのだ。ただ抗議によって人間になり、ただそれだけを支えに、自分たちは日々警察官という幻想の存在を生きているということだ。否、見ているのは幻想だが、その幻想に震わされているこの体験だけは現実だというところに、自分たちの<いま>があるというべきか。そうだ、組織で生きる苦しさとは、幻想でしかないものが身体の体験となる、この一人芝居のことなのだ──。」(下巻、295頁)

一人芝居は、しかしながら、苦しいばかりでなく、この上ない喜びの幻想ともなる。組織への加担も、それへの抵抗も、組織と人間との複雑微妙な関係のなかでは、どちらがより本源的とも言い難い幻想となって、一人芝居を演出する。
もう一人の刑事、半田は、その一人芝居の中で、身を滅ぼしていく。それと対決する合田も、「生き続けることの拒否感」から、決断をする・・・。
小説が困難な時代において、作家の想像力の可能性を示した一つの到達点だろう。